2019.02.28 12:51天 女 (2)★ヴィパッサナー瞑想合宿 (4b)3 天 女 ◆起床からサティが続く 8日目、2005年元旦。といっても修行者は、いつもと同様に黙々とサティを続けるだけだ。この日は、起床して服を着る動作から自然にサティが入り続けた。トイレへいく一歩一歩の足の動き、スイッチをいれ扉を開ける動作、トイレ内への移動‥‥。前日までは、トイレの中の動作のどこかでサティが途切れていたが、この日は途切れなかった。続いて掃除機を使って部屋の掃除。かがみこんでコードを引き、コンセントに差込み、掃除機を移動させ、という複雑な動作にも苦もなくサティが入り続ける。掃除の途中で、「あ、完璧にサティが入り続けている」と気づいた瞬間、その思考にはサティが入らなかった。先生によると、前の晩のよい瞑想状態が、翌朝にも引きつがれていく傾...
2019.02.28 11:59天 女(1)★ヴィパッサナー瞑想合宿 (4a) 2004/12/25から2005/1/3まで、八王子で行われたグリーンヒル瞑想研究所の10日間瞑想合宿に参加した。この瞑想研究所での瞑想合宿参加は、今度で4度目になる。帰宅後ダイアリーに掲載して行ったものをここ にまとめて報告したい。このレポートは、これまでの合宿レポートを踏まえて書いているので読んでいない方は、少なくとも初回のレポートをまず読んでいただければ幸いである。→2001年・10日間瞑想合宿レポート Ⅰグリーンヒル瞑想研究所については、以下のURLをご覧いただきたい。 http://www.satisati.jp/◆はじめに 毎回同じような書き出しだが、今回もまた暮れから正月の10日間を注ぎこむに足る体験だった。そし...
2019.02.28 10:23劣等感(2)★ヴィパッサナー瞑想合宿(3b)5. 存在は苦なのか◆再びメガネの錯覚 瞑想状態が次第に良くなるのと前後して、前回の合宿のときに課題となったメガネの錯覚が再び現れ、徐々に強くなっていった。確か3日目には、両目の下あたりに時折フレームがかすかにあたる程度の感覚だった。それが日を追う毎に徐々に強くなり、最終的には前の合宿の時の感覚とほとんど変らない強さとなった。6日目の午後だったと思う。3階へ階段を上がったところにある小さな喫茶スペースの椅子に坐っていた。他の人と同席した時は、まず目を閉じてその人に対し「慈悲の瞑想」をすることにしていた。その時も「慈悲の瞑想」を終えて目を開けると、かけていないメガネの感覚が目のあたりにはっきりとあった。と同時に原始仏教の存在(煩悩)否定論が頭をかすめた。...
2019.02.28 09:17劣等感(1)★ヴィパッサナー瞑想合宿(3a) 2004/8/6から2004/8/15 まで、八王子で行われたグリーンヒル瞑想研究所の10日間瞑想合宿に参加した。この瞑想研究所での瞑想合宿参加は、今度で3度目になる。帰宅後ダイアリーに掲載して行ったものをここ にまとめて報告したい。このレポートは、これまでの合宿レポートを踏まえて書いているので読んでいない方は、少なくとも初回のレポートをまず読んでいただければ幸いである。→2001年・10日間瞑想合宿レポート Ⅰグリーンヒル瞑想研究所については、以下のURLをご覧いただきたい。 http://www.satisati.jp/1.心が静まらない(初日) ◆入山 八王子のグリーンヒル瞑想研究所の合宿に参加するのは、去年の正月以来1...
2019.02.28 06:43メガネ(2)★ヴィパッサナー瞑想合宿(2b)瞑想と食事◆小食過ぎた 瞑想と食事の関係については前回のレポートでも触れたが、今回もさらにその密接でデリケートな関係を実感した。 前回の経験から食べ過ぎてしまえば眠気が来てよい瞑想ができないことは分かっていた。しかし今回は、最初の数日は小食になりすぎてエネルギー切れになった。 食事は、朝と昼の二回。それぞれ玄米のおこわがお碗に4分の1から5分の1。そして味噌汁と工夫がこらされた何種類かのおかずが少々だ。それでもこの合宿の常連の人たちは、出されたものの半分は残すという。 私も、2日目の朝は常連の平均より多めだったが、2日目の昼からは、かなり抑え始めた。玄米は3口ほど。つまり小さじに3杯ほどにした。おかずも出されたものをそれぞれ半分は残し、まったく手...
2019.02.28 06:01メガネ(1)★ヴィパッサナー瞑想合宿(2a) 2002/12/27(金)から2003/01/05 (日)まで、八王子で行われたグリーンヒル瞑想研究所の10日間瞑想合宿に参加した。この瞑想研究所での瞑想合宿参加は、今度で2度目になる。帰宅後ダイアリーに掲載して行ったものをここ にまとめて報告したい。このレポートは、前回の合宿レポートを踏まえて書いているので読んでいない方は、まずそちらを読んでいただければ幸いである。→2001年・10日間瞑想合宿レポート Ⅰグリーンヒル瞑想研究所については、以下のURLをご覧いただきたい。 http://www.satisati.jp/◆今回の学び 今回もまたさまざまな意味でずしりと来る瞑想合宿だった。一方で大きな課題も背負った感じだ。 ...
2019.02.28 04:21はじまり(2)ヴィパッサナー瞑想合宿(1b)◆瞑想と食事 ① ここで合宿中の食事のことに触れておく。合宿中食事は、朝と昼の2回のみ。毎回、もち米の玄米が味噌汁のお椀に三分の一程度だ。あとは味噌汁と数種類のおかずが少量づつ。 個人面接での最初の話題は、食事の量と瞑想との関係についてであった。食事と補給をどの程度、いつとるかが瞑想の状態に大きく影響するから、早く自分の適量を把握するようにとのことであった。 最初は、その意味を実感できなかったが何日か経つうちに瞑想への食事の影響をいやというほど感じるようになる。 私の場合、いい瞑想ができたのは、起床し掃除などをしてすぐ4時半前後からの瞑想と、朝食後すぐの瞑想、そして夕方の瞑想であることが多かった。 食事の量が多すぎれば眠気が襲うし、少ないと体力が...
2019.02.28 04:08はじまり(1)ヴィパッサナー瞑想合宿(1a) 2001年の8月10日から19日まで、八王子にあるグリーンヒル瞑想研究所のヴィパッサナー瞑想合宿に参加した。 その前に何冊かのヴィパッサナー瞑想に関する本を読んで、この瞑想なら本格的にやってみたいという気持ちになっていた。幸いこの夏、時間的にゆとりがあったのでインターネットで調べたところ、ほぼ同じ時期に日本テーラヴァーダ協会の熱海での合宿と、 このグリーンヒル瞑想研究所の合宿があることを知った。 7月末、最初にメールでグリーンヒル研究所にまだ申し込みできるかどうかを確認したところ、 キャンセル待ちだが可能性はあるとのお返事をいただいた。この時点で私はまだ、参加を決めていたわけではないのだが、追って参加可能との連絡をいただいたので、テーラヴァーダ協会の...
2019.02.25 06:24唯識仏教における利己心と利他心 唯識仏教は、心の深層の利己心を徹底的に分析・記述し、さらにそれが利他心へと変貌していく可能性を展望した。ここでは心を見つめる唯識に特有な構造を、シュッツの日常世界論と比較しながら論ずる。 1 唯識仏教の深層心理学 仏教は元来、六つの識をあげる。まずは眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)の五感のは働き(前五識)である。つづいて第六識意識は、推理・判断などことばを用いた思考作用あり、感情・意志なども含めたいわゆる「心」の働きである。しかし唯識は、さらにその深層に働く第七識の「マナ識」と第八識の「アーラヤ識」とを発見した。マナ識は潜在的な自己我執着心であり、アーラヤ識は、さらにその深層にあって以上のすべての識を生...
2019.02.25 06:11「唯識三性説」と「自己概念」 1 三種の存在形態 大乗仏教の一派・瑜伽行唯識派を特徴づける三つの柱は、瑜伽行論と識論と三性説とであるという。瑜伽行とは、凡夫から覚者(ブッダ)になるための修行、迷いから悟りへの転換のプロセスであり、この行の実践を基礎としながら唯識派の理論は構成されていく。それゆえ唯識派の理論とは、いわば悟り(=自己超越)の理論である。 瞑想を中心とした瑜伽行を実践すると、次々と妄想がわき、煩悩が動きまわる。瞑想が深まるほど妄想は尽きず、幻覚すら出る。それは無意識に抑圧されたものが妄想・幻覚となって解放される過程だともいえる。その解放の果てに悟りがある。瞑想中のこうした体験が刺激となり意識の働きとは何かという考察が深まった。それが唯識派の「識論」であり、それは一...
2019.02.24 07:45「真の自己」の幸福論─岸田「自我論」の批判を中心に岸田秀は特異な思想家だ。思春期からの頑固な強迫神経症が縁となって精神分析の研究に入り、徹底した自己分析によって自ら神経症を癒していった。それゆえ彼の理論は、苦しい強迫神経症から解放されたいと願ってフロイトを読みつつ、ひたすら自己分析を続けた体験を一つの基礎として築かれた。彼の個々の論文は、深い洞察力に富み、読んでいて興味尽きない。しかし、その「自我論」は、狭い自我を超える「真の自己」のはたらきを否定する構造になっており、この点は批判が必要であろう。以下に岸田の「唯幻論」・「自我論」の大筋を見、その批判検討を通して、「真の自己」のはたらきに基づいた幸福論が可能かどうかを吟味しよう。 1 岸田「唯幻論」 岸田によれば、動物は一般に本能的に規定...
2019.02.24 02:36「心身一如」と教育観の変革1.近代主義的教育観とその克服 端的に言って、現代日本の教育制度の暗黙の前提となっているのは、西欧の近代主義的な人間観であろう。そこでは精神と肉体とは二つに分断され、しかも人間の精神の働きは、理性的・知性的側面のみを極端に偏重するかたちで把えられている。そうした人間観と根を同じくするところ(デカルト的な精神-物質二元論)から近代科学が生まれ、巨大な成果をあげたが、同時に多くの「ひずみ」も生まれた。そうした「ひずみ」を生みだす根となる近代主義的な人間観の問題点を克服しようとする試みは、近年、当の西欧でも様々な分野で行われるようになった。 たとえば心理学の分野で言えば、アメリカの心理学者かつ思想家であるケン・ウィルバー等を中心として理論化されたトラ...