2019.08.04 13:00禅僧・今北洪川(覚醒・至高体験) 以下は、明治時代の著名な禅僧・今北洪川の体験である。 愛宮真備『禅―悟りへの道 (1967年) 』 より収録。 「ある夜、座禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光りが私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。私の見、聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世...
2019.07.26 22:49禅僧・白隠の弟子(覚醒・至高体験) 秋月龍民『禅の探求―生と死と宇宙の根本を考える (1976年) (サンポウ・ブックス) 』より、ある禅僧の体験を収録する。禅宗の一派、日本臨済宗の中興の祖・白隠禅師のもとで修行した老僧の話である。 いまから200年ほど前、遠州の新橋というところに大通院という大きな寺があった。そこの和尚は、もう60の年を過ぎているのにまだ悟りを開いていなかった。この老僧はこれではならぬと発心し、駿河の松蔭寺に、白隠禅師の門をたたいて、弟子入りした。老僧に与えられたのは白隠自身が作り出した「隻手の音声(片手の声を聞 いてこい)」という有名な公案であった。老僧は熱心に公案に取り組んだ。 しかし、 5、6年たってもなかなか悟りは開けない。ついにへこ...
2019.07.20 12:37久松真一(覚醒・至高体験) 久松真一は、現代の日本を代表する禅者の一人であり、また哲学者でもある。国際的な活動でも知られている。もちろん僧籍をもっているわけではなく、あくまで居士としてではあるが、禅の根本精神を世界に広めようとFAS協会を設立した。 独自の宗教哲学を確立した、広い意味での宗教家と位置付けて、その見性体験を「宗教家の場合」のひとつに収めたいと思う。 以下は、『久松真一著作集〈第1巻〉東洋的無 (1969年) 』(理想社刊)に収録された「学究生活以降」および「学究生活の思い出」からとった。後半の文中「彼」とあるのは久松本人のことである。 「学究生活以降」は、久松真一の立場が簡潔に述べられているので、まず、これを引用する。 次に「学究生活の思い出」の中から、禅に...
2019.07.19 12:00紀野一義氏(覚醒・至高体験) 紀野一義氏を宗教家に入れてようかどうかわからない。在家で数々の一般向けの仏教書を著し、多くの人々の心をつかんで来た人である。私も、本が出るたびに買って夢中で読んで来たし、彼の主催する会に参加し、講演も何度も聴いた。最近ある方に紀野氏の本を紹介したのがきっかけで、ふと以下の文をこの事例集に入れようという気になった。 私にとって、とてもなつかしく素晴らしい人の体験をここに入れられるのを、とてもうれしく思う。 文章は、『禅―現代に生きるもの (NHKブックス 35) 』からの掲載である。 わたしは、広島に育ち、旧制の広島高校を出て東大の印度哲学科に学び、二年生のとき学徒動員で召集されて戦場に赴いた。終戦と同時に中国軍の捕虜になり、翌年の春ようやく帰国した。...
2019.07.18 04:25鈴木一生氏(覚醒・至高体験) 以下に『さとりへの道―上座仏教の瞑想体験 』(春秋社)の中に記された、著者:鈴木一生氏の体験を取り上げる。 鈴木氏は、天台宗で得度し僧籍をもつ人だが、上座仏教と出会い、激しい葛藤の中で、これまで学んだ大乗仏教、とくに法華経信仰を捨てて上座仏教に帰依していく。著書には、その過程、またヴィパッサナー瞑想で目覚めていく過程が、具体的にわかりやすく記述されていて、興味つきない。 瞑想には、止(サマタ瞑想)と観(ヴィパッサナー瞑想)があり、心をひとつのものに集中させ統一させるのがサマタ瞑想だ。たとえば呼吸や数を数えることや曼陀羅に集中したり、念仏に集中したりするのはサマタ瞑想だ。 これに体してヴィパッサナー瞑想は、今現在の自分の心に...
2019.07.16 02:20玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(3) 玉城康四郎氏については、すでにその若き日の至高体験をその(1)で、また、最晩年、「七十八歳の十二月の暮れ、求め心がぽとりと抜け落ちて以来、入定ごとに堰を切ったように、形なき「いのち」が全人格体に充濫し、大瀑流となって吹き抜けていく」という体験を、その(2)に紹介した。 しかし、氏の「仏道を学ぶ」という求道記のなかには、78歳以前の晩年にも、以下のような記述がしきりに見られる。氏にとっては、それらはまだ徹底しない体験だったのだろうが、ここにその一部を収録して少しでも多くの方に読んでいただく価値は充分にあると思う。以下も『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版)よりの収録である。七十歳 ( 昭 和 六十一年 ) 何とも表現できぬバック・グラ...
2019.07.15 03:37玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(2) 玉城康四郎氏の若き日の至高体験については、すでに取り上げた。玉城氏は、若き日の苦悩のなかで一時的に大爆発を起こし、覚醒するものの、しばらくするとまたもとのもくあみに戻ってしまう、ということを何度か繰り返した。一時は、今生で仏道を成就し覚醒を得ることに絶望することもあったが、それでもひたすらに仏道を求め座禅を続けた。 そして最晩年に、ついに下に見るような真の覚醒に至るのである。求道への、その真摯でかわることのない熱情は頭が下がる思いである。 以下も『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版)よりの収録である。◆ダンマ顕わとなる 禅宗の坐禅に替わって、ブッダの禅定を学び始めてからもう三十年になる。そのあいだにブッダに学んだ基本は、 「ダンマ・如...
2019.07.14 02:41玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(1) ここに仏教学者・玉城康四郎氏の若き日の至高体験を収録する。氏は学者であると同時に求道の人であり、深い宗教体験も持つ人であるが、その求道は苦難の連続であったようである。以下の至高体験は氏の『冥想と経験 』その他、いくつかの著書の中に記述が見られるが、ここでは『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版、1995)から収録する。 氏は、こうした苦難の連続のあと、晩年に覚醒を得るが、それは項を別けて収録する。東大のインド哲学仏教学科に入学した玉城氏は、奥野源太郎氏に師事し座禅を続ける。文中先生とは奥野氏である。 私は、先生に就くだけではなく、専門の道場でも行じてみたいと思い、先生の許しを得て、円覚寺の接心にしばしば参じた。接...
2019.07.11 08:19OSHO(覚醒・至高体験) 以下はOSHO(バグワン・シュリ・ラジネーシ)の『存在の詩―バグワン・シュリ・ラジニーシ、タントラを語る 』(めるくまーる社、1977)の、ほぼ出だしの部分からの抜粋である。『存在の詩』は、チベット仏教の中でも特にタントラ的な色彩の強い、カギュー派という流れの始祖とされる伝説的な存在・ティロパの「マハムドラーの詩」を元にした、OSHOの講話である。 私は、この本を日本語訳の出版と同時に夢中で読んで、大いに影響を受けた。 ここには、めずらしくOSHO 自身の子供の日の体験が、さりげなく語られているので、掲載することにした。 OSHOについては、毀誉褒貶が多いと聞く。そうしたことについて私はほとんど知らないが、彼が語ったものは、以前として大...
2019.07.08 14:15禅僧・白隠の大悟まで(覚醒・至高体験) 以下にいくつかの資料を参考に、白隠の大悟に至るまでの経過を記す。 二十四歳から二十五歳に至る一年間、白隠の禅境の一大変化が到来したという。「二十四歳の春、越後の英巌寺におった。無学を提起して終夜眠らず、寝食ともに忘れていた。忽然として大疑 現前の状態になった。万里一条の層氷の裡に凍殺されるかの如く、胸の裡は分外にさっぱりしている。そして進 むこともできず、退くこともできず、ばかになってしまったようで、ただ無字があるだけである。講義の席に出 て師匠の評唱を聞いても、数十歩外に離れて、講堂の上の議論を聞くようである。あるいは空中を歩いているよ うでもあった。 そのような状態が数日つづいたが、ある晩鐘の声を聞いて、がらがらとそれが崩れた。水盤の破砕、玉楼の...
2019.07.06 03:12禅僧・山田耕雲(覚醒・至高体験) かつて、ネット上で交流のある友人からメールをいただいた。山田耕雲老師の見性体験記が、なぜ本サイトの事例集に入ってないのかと疑問に思っているとのことであった。 現代の禅宗の老師の体験記としては、かなり貴重なもの、と評価しているとのことであったが、私自身は、山田耕雲老師のお名前を知っている程度で、体験の記された本は読んでいなかった。友人がメールに添付してくれた、その体験記をここに掲載したいと思う。この体験記が記されているのは『新版 禅の正門(ショウモン) 』という本である。山田耕雲老師 『再見性の大歓喜』(抄) 三島龍沢僧堂 中川宗淵老師宛の手紙 拝啓 過日は御取込みのところへ大勢にて参上し、日和はよし、まことに楽しい一日を過ごさせて頂きました。安谷老師...
2019.07.05 13:42クリシュナムルティ(覚醒・至高体験) 旧サイト『臨死体験・気功・瞑想』を運営していたころに何度かメールでやりとりをしたことのある、ある方からメールをいただいた。それは、クリシュナムルティの覚醒体験についてのもので、旧サイトの「覚醒・至高体験事例集」に加えて、みなさんにぜひ読んでいただきたいとのことだった。その内容をここでも再録させていただく。=================================================一九二二年の八月十七日、彼はカリフォルニアのオーハイでその後の 人生を一変する体験に見舞われます。(すべて「クリシュナムルティ の世界」大野純一編訳コスモス・ライブラリーからの引用です。クリ シュナムルティ二十七歳の年だそうです。)まずその周辺を知って...