秋月龍民『禅の探求―生と死と宇宙の根本を考える (1976年) (サンポウ・ブックス) 』より、ある禅僧の体験を収録する。
禅宗の一派、日本臨済宗の中興の祖・白隠禅師のもとで修行した老僧の話である。
いまから200年ほど前、遠州の新橋というところに大通院という大きな寺があった。そこの和尚は、もう60の年を過ぎているのにまだ悟りを開いていなかった。この老僧はこれではならぬと発心し、駿河の松蔭寺に、白隠禅師の門をたたいて、弟子入りした。老僧に与えられたのは白隠自身が作り出した「隻手の音声(片手の声を聞 いてこい)」という有名な公案であった。老僧は熱心に公案に取り組んだ。
しかし、 5、6年たってもなかなか悟りは開けない。ついにへこたれた老僧は、「これまで親切に指導していただいたのにどうしても目が開けない、どうしたらよいのか」と白隠に泣きついた。白隠は「がんばって、あと3年“隻手の音声”の公案に打ち込め。 それでだめだったら、わしの首を斬れ」と言った。そこで老僧はまた気力を奮い起こして修行に励んだ。
そして3年たったがやはり悟りは開けなかった。白隠は「いまさら、わしの首を斬ってもどうにもなるまい。あと3ヵ月だけやってみよ」と励ました。 また、白隠の叱咤の声がひびき、厳しい修行が続いた。
しかしやはりだめだった。白隠はついに、「お前のような者はもう死んでしまえ」 とどなった。老僧は、「はい、そういたしましょう」と、死んでおわびするつもりで 松蔭寺の門をでた。
遠州へ帰る途中、ある峠の断崖から西の空を見ると、夕焼けの眺 めがあまりに美しいので、これが今生の見おさめかと、傍らの石に坐り込んで眺めているうちに、思わず知らず三昧境に入った。気がつくともう夜が白々とあけはじめて いた。老僧は、「ああ、自分は死ぬのだ」と考えて、崖から身を投げようと片足をふみ出した。その瞬間、雲間から朝日の光がキラッとさしそめた。はっと全身電気に打たれたように感じた老僧は、はらおうとしてはらえなかった心中の暗雲がそのときは じめて開けていくのを実感した。見性したのである。
「そのとき、すべては新しい。すべては美しい。すべては光っておる。そして、ふしぎなことにすべてが自己である。万物と我れと一体である。世界と我れと不二である。」
自己と世界が一つになって、自己が朝日となって全世界に輝いたのである。
老僧は、狂気のように松蔭寺にとって返して、白隠の室に泣いて駆け込んだ。白隠は心からこの老僧を祝福して、その悟りを証明したという。(秋月龍民『禅の探求』47~50)
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