玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(2)

  玉城康四郎氏の若き日の至高体験については、すでに取り上げた。玉城氏は、若き日の苦悩のなかで一時的に大爆発を起こし、覚醒するものの、しばらくするとまたもとのもくあみに戻ってしまう、ということを何度か繰り返した。一時は、今生で仏道を成就し覚醒を得ることに絶望することもあったが、それでもひたすらに仏道を求め座禅を続けた。

 そして最晩年に、ついに下に見るような真の覚醒に至るのである。求道への、その真摯でかわることのない熱情は頭が下がる思いである。

 以下も『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版)よりの収録である。

◆ダンマ顕わとなる

 禅宗の坐禅に替わって、ブッダの禅定を学び始めてからもう三十年になる。そのあいだにブッダに学んだ基本は、

「ダンマ・如来が、業熟体に顕わになり、滲透し、通徹しつづけて、息むことがない」

ということである。

 ダンマ・如来とは、形なき「いのち」そのものであり、言葉をこえた純粋生命である。業熟体とは、限りない以前から、生まれ替わり死に替わり、死に替わり生まれ替わり、輪廻転生しつつ、そのあいだに、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりながら、いま、ここに実現している私自信の本質であり、同時に、宇宙共同体の結び目である。もっとも私的なるものであると同時に、もっとも公的なものである。それは私自身でありながら、その根底は、底知れぬ深淵であり、無明であり、無智であり、黒闇であり、あくた、もくたであり、黒々とつらなっていく盲目の生命体である。それは私自身であると同時に、宇宙共同体である。このような業熟体にこそ、ダンマ・如来、形なき「いのち」そのものが、顕わになり、通徹しつづける。それは、あらゆる形を超えながら、あらゆる形を包みこ む永遠の働きである。その働きの真っ只中で、その働きに全人格体を打ち任せながら禅定を行ずる。 ブッダは、そう教えてくれるのである。

 この禅定を連日習いつづけているうちに、きわめて徐々にではあるが、ダンマ・如来が、禅定のたびごとに私自身に顕わになり、そして、年を重ねれば重ねるほど、急速、かつ強烈に私の全人格体を通徹する。もとより、ダンマ・如来の人格体における熟し方において、ブッダと私とは天地の相違があるであろう。ブッダは、億劫の修行の後に地上に生まれ、かつ命懸けの苦行の末、入定して悟りを開いたのである。盤珪は、尻も破れ、血を吐き吐き、坐禅に打ち込んだ。私は、ただ安閑として、老師の指導を受け、ブッダの禅定を習っただけである。法熟において雲泥の差のあることはいうまでもない。しかしながら、ブッダに顕わになり、盤珪を貫き、そして私の心魂にひびきわたってくるいのちそのものにおいては、寸毫の違いもない。なぜなら、それは、言葉を超え、観念を超え、時空を通貫して、じかに私の全人格体に透徹してくるからである。しかもそれは、まったく我ならぬ、しかも徹底して我にまで成りおおせる、宇宙自体の、自然のなかの、もっとも自然なるいのちそのものだからである。(「盤珪と私」より)

◆「仏道に学ぶ」:78歳

 12月14日、ふと気がついたら、求め心が、ぽとりと抜け落ちていた。爾来、入定ごとにダンマ・如来、さまざまな形で、通徹し、充溢し、未来へと吹き抜け給う。ありがたきかな、最後の一息まで、如来の真実義に随順してゆく。わが物顔よ、物知り顔よ、自性よ、ただひたすら、頂戴してゆこう。

◆「仏道に学ぶ」:まとめ

 先に触れたように、七十八歳の十二月の暮れ、求め心がぽとりと抜け落ちて以来、入定ごとに堰を切ったように、形なき「いのち」が全人格体に充濫し、大瀑流となって吹き抜けていく。その凄まじい勢いは、何物にも警えようがない。この老骨痩躯にさえこのように知覚するのであるから、「いのち」の活動そのものは、想像を絶するであろう。それは、われわれが自覚すると否とを問わず、限りなき過去から未来際を尽くし、全宇宙を包んで働きつづけている。これがすなわちダンマ・如来の無限活動である。この活動に包徹されてこそ、初めてわれわれは目覚めることができる。

 かくしてダンマ・如来は、さまざまな形で、全人格体に、また業熟体に顕わになってくる。たとえば、自然法爾、往還の廻向、大智・大悲、歓喜、そして煩悩・我執のままの包徹、等々である。しかしこうした表現は、固定的、観念的であり、実際の状況はとうてい言葉で表すことはできない。いわぱそれは、自我の消滅した、自己即如来の、宇宙に拡充せる動態そのものであり、生きつづけているいのちそのものである。それを反省してみれば、右のような表現になったまでである。

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霊性への旅

臨死体験も瞑想も気功も、霊性への旅、覚醒への旅・・・

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