3 天 女
◆起床からサティが続く
8日目、2005年元旦。といっても修行者は、いつもと同様に黙々とサティを続けるだけだ。この日は、起床して服を着る動作から自然にサティが入り続けた。トイレへいく一歩一歩の足の動き、スイッチをいれ扉を開ける動作、トイレ内への移動‥‥。前日までは、トイレの中の動作のどこかでサティが途切れていたが、この日は途切れなかった。続いて掃除機を使って部屋の掃除。かがみこんでコードを引き、コンセントに差込み、掃除機を移動させ、という複雑な動作にも苦もなくサティが入り続ける。掃除の途中で、「あ、完璧にサティが入り続けている」と気づいた瞬間、その思考にはサティが入らなかった。先生によると、前の晩のよい瞑想状態が、翌朝にも引きつがれていく傾向があるとのことだった。その後の瞑想も、昨晩ほどの深い禅定感はなかったものの、サティがクリアに続いた。
◆達成ゲーム
8日目、9日目は、恒例の達成ゲームがある。先生のダンマトークでのお話ぶりでは、今回も達成ゲームを行うかどうか、若干の迷いがあったようだ。が、結局行うこととなった。たしかに甘いサティだとどうしても思考モードに流れることが多く、思考=エゴが裁量する範囲での洞察しか得られない。思考の入らない厳密なサティを続け、それでも浮上してくる妄想やイメージにもサティを入れていると、エゴの裁量を超えた洞察、自己変革につながる劇的な変化が起こりやすい。だからこそ純粋なサティが大切なのだ。これが、達成ゲームを行う、先生の狙いのひとつだ。
厳密なサティの意味は充分納得できる。しかし私は、せっかく瞑想が軌道に乗ってきたところへ、また新たなルールを意識して心を乱されることに抵抗を感じていた。サティを連続させる3時間という時間を意識してしまい、またサティが途切れたかどうかをいちいち厳密にチェックしていくことは、かなりわずらわしい。これまでの瞑想の流れを断ち切られるような感じだった。サティがどれぐらい続いたかに意識を奪われるのがいやであった。
ダンマトーク後の瞑想は、やはり達成ゲームを意識して全体によくなかった。3階で少し早足で歩行瞑想をした。少しは足裏の感覚に集中できるが、15分、せいぜい30分でサティの入らない思考に気づく。そうするとまた振り出しに戻って時間を計る。その繰り返しだった。
◆天女となる
8日目昼食後の歩行瞑想も似たり寄ったりの状態だった。そのあとの2回の座禅は眠けが多く、半ば夢のような妄想に巻き込まれていた。午後3時頃から再び座禅。前半がどんな座禅だったかは覚えていない。確かに覚えているのは、これまで何回も出現していた、あの女生徒のイメージが再び現れたことだ。そして突然、女座りに座っている彼女のイメージのなかに私が重なっていった。一瞬、「えっ」とびっくりし、女性に重なっていく自分に戸惑いを感じた。
その瞬間、女生徒と重なった私が天女になり、空に舞い上がっていった。依然として戸惑いを感じていた。そして、このまま天女となって空を舞うか、イメージにサティを入れるか迷った。サティを入れると、イメージは消えた。そして再び腹の動きへのサティに戻った。しかし、からだの力みが一気に抜けたかのように楽で、気持ちよく、呼吸も楽になっていた。周囲の音が遠のき、辺りが明るくなっているような気がした。腹の動きにサティしながら、その状態がしばらく続いた。
座禅を解き、トイレに行った。トイレのなかで先ほどの体験のことを考えた。サティを忘れ思考モードになっていた。「そうか、女生徒は私のアニマの投影だったのか」と思った。彼女と重なっていったのは、抑圧していた私のアニマと結合するイメージだったのかもしれない。だとしたら天女になったのはどういうことか。天女を吉祥天だとは意識していなかった。天女になって空へ舞い上がるイメージだけがあった。
座禅を解いた後の私には、しかし、座禅中の解放感はなかった。何か割り切れない、すっきりしない感じが残っていた。もしあのイメージが、何かしら抑圧されたものの解放につながっていたのなら、もっと解放感があっていいはずだ、と思った。
アニマの解説を少し。ユングは夢の分析を進めるうちに、夢に出現する異性像に強い印象をもった。そして、男性の夢に多く出現する特徴的な女性像をアニマと呼んだ。これに対し、女性のなかに潜む男性像をアニムスと呼んだ。男性にとっての外的態度(ペルソナ)は、力強く、論理的であることが期待される。しかし、彼の内的な態度は、弱々しく、非論理的かもしれない。このように一般に望ましいと考えられる外的態度から締め出された面が、抑圧されて夢の女性像として現れる。ペルソナとアニマは相補的なのである。ちなみに、自分と同性の人物として人格化されるイメージは、「影」に関係する。
◆一度だけの嗚咽
9日目の夜中、午前2時過ぎだったろうか、あるいは3時に近かったかもしれない。足の先が寒くて目覚めた。毛布からはみ出していたらしい。目覚めてとくに何を考えていたという記憶はない。急に何かがこみ上げて来たことだけを覚えている。
「これまでずっとたった一人で苦しんできたんだな」と思った。一瞬、これまでに経験したことのない底冷えるような孤独と辛さを感じた。そして一度だけ嗚咽した。すると体がじわーと弛み、楽になった。ふわーっと溶けていくような感覚だった。気がつくと涙が頬を伝わっていた。何かしら抑圧が解けたという感覚があった。無明の凍りがひとつ溶けた。そのうれしさが弛んだ体に広がっていた。
すでに触れたが、若き日に友人に攻撃されて深く傷ついた。それに関連した別の記憶や、それらに共通した自分の根深い劣等感が見えはじめていたことも触れた。その抑圧の凍りが、ふいに目覚めた夜中の布団のなかで溶解したようだった。
◆ダンマの風
起き上がって座禅をしようかと思った。しかし「今は、頑張りモードじゃあないな」と思って止めた。布団のなかで思った、様々な抑圧が、抑圧による苦しみが、そして抑圧の解けない人生同士の衝突による苦しみが世界中に渦巻いている。国家や民族も、個々の人生と同じようにトラウマと抑圧の歴史をもち、抑圧を外部に投影してその敵と戦っている。無明が無明を生んで、延々と争いと苦しみの鎖が続いていく。
しかし、たとえ微かにせよ、ダンマの風も確実に吹いている。私のなかで凍てついていたものが溶けはじめたように、あちらこちらで何かが溶けていく確かな事実がある。凍てついた何かを溶かす力は、すべてダンマだ。誰かの一言でわずかに溶けるのも、深い衝撃とともに大きく溶けるのも、すべてダンマの力による。世界を貫いてそういう力が働いている。それもまた事実だ。
4 女王と一体に
◆女王と一体に
結局、起床の午前4時まで眠らなかった。起床後の座禅は、あまりよくなかった。しかし、10日目は、朝食の時間で修行は終わる。実質9日目が修行の最終日だ。よくないなりに気持ちは真剣であった。朝食後も、よくなかったが、やはり必死の瞑想を続けた。
ダンマトークのあとも必死の瞑想をつづける。昼食時間に近くなったころの座禅のときであった。しばし夢のイメージのような妄想を追っていた。そのとき再びあの女子生徒の姿が浮かんだ。彼女が、両手を上にかかげている。なぜか彼女が女王の衣装に身を包んでいる。昔話の女王というより、美人コンテストの女王の衣装にも見えた。栄光に両手をかざしているのだ。「えっ、彼女が栄冠を?」と思った(失礼!)。と思う間もなく、その女王に私が重なっていった。またまた「なぜ、私が女王になるんだ」という戸惑いがあった。しかし、体には解放感が広がっていた。体がどんどんと弛み、楽になっていく。その解放感のなかで昼食の合図の鈴が鳴った。
他の参加者と列を作りつつ、ゆっくりと階段を降りて行く。「今のはなんだったのか」という思いが頭を占めている。それでも「離れた」「進めた」と足の動きにサティをしつつ階段を降りる。一瞬、キングのイメージが頭をかすめた。トランプのキングだった。そのイメージとともに「もう、これと対抗する必要はないんだ」という思いが走った。「そうだったのか」と感じた。
◆王と女王
昼食の前半は、女王と一体になった体験と、キングのイメージのことが気になり、ほとんどサティにならなかった。しかし、体験の意味はいまやはっきりとした。私はずっと、自分のなかの女性的なものを嫌い、否定し、押さえつけて来たのだ。しかし、女性的なものは、最高度の男性的なもの(王)となんら劣るものではない(女王)。まったく対等と見なしていいのだ。一連のイメージ、とりわけ女王と一体となったイメージは、それを語っていた。私のなかの女性的なものを卑下せず、拒否せず、ありのままに受け入れるならば、優れて男性的なもの(キング)と自分の女性的なところとを比較して劣等意識を持ったり、無理に対抗したりする必要はもうないのだ。むしろ王と女王とは一体なのだ。ここまで分かって、私はとても楽になった。自分のなかの女性的なものの、本当の受容が起こった感じがした。
◆無意識の自律性
女王と一体になる体験の前日に、似たような体験をしたことはすで触れた。例の女生徒に重なった直後に天女になって空に舞い上がった体験である。この二つは、どのように関連しているのか。
おそらく天女も、自分のなかの女性性を肯定するイメージだっただろう。しかし一瞬の戸惑いのなかで、私は空を舞うイメージに身を任せなかった。それが体験を消化不良にさせたのだろう。だから、このイメージの体験後はあまり解放感がなかった。そして翌日、女王というもっと分かりやすいイメージによって再びアニマとの統合が図られたのではないか。しかも女王は、王(男性性)のパートナーとして統合のイメージによりふさわしい。
あるいはこうも考えられる。9日目の明け方に、自分の根深いコンプレックスを受容する体験をし、嗚咽した。そのコンプレックスとアニマの抑圧とは関連している。そういう深い受容があったからこそ、アニマとの統合の充分な準備が出来たのかもしれない。それが、女王のイメージとの一体化につながっていったとも思える。
ともあれ、自分の意図しないところでかってにイメージが展開し、抑圧されてきたものの統合が果たされていくということに軽い驚きと衝撃を覚えた。無意識の働きの不思議さに心打たれた。ユングは、無意識が自律性をそなえ、かつ創造的で、ときには人格的なものとして現れてくることを指摘したが、まさにそれを自ら体験した。天女のイメージで未消化だった体験を、さらに女王のイメージによって再体験させるなどは、意識的な私からは独立した知恵のようなものを感じさせた。
◆なぜあの女性徒だったのか
ひとつずっと気になっていたのは、なぜあの女性徒が、私のアニマの現実における対応人物になっていたのかということである。前にも書いたように、私は彼女に特別な感情は何ももっていなかった。
多くの場合、アニマは男性のこころの中の抑圧されたもの、その男性にとって弱い部分(劣等機能)と結びつきやすいという。たとえば、思考型の男性は、彼の中の弱い部分、すなわち感情機能がアニマと結合している。堅い人で通っていた学者が娼婦型の女性に心を奪われたり、ドン・ファンとして知られた男性が、ただ一人の清純な女性に一途な愛を捧げたりするのも、そうしたアニマの外界への投影であったりする。(アニマの説明は、ユング著『分析心理学』や河合隼雄著『ユング心理学入門』を参考にした。以下同様)
私も思考型といってよいだろうから、感情機能が豊かな女生徒に何らかの投影が働いたのかもしれない。あるいは、教師としての社会的な役割や規則に縛られている私の抑圧している面がアニマと結びつき、縛られずに生きる女生徒に投影されたのかもしれない。また地橋先生が指摘していたように、彼女の中にはただおきゃんなだけでなく意外と素直で真面目な部分も隠されており、そんなところを私が感じ取っていたのかもしれない。いずれにせよ、自覚されないいくつかの要素がからみあって、私の中のアニマが彼女に投影されたようだ。彼女にとくに好き嫌いの感情をもっていなかっただけに、ちょっと不思議な感じは残るが。
◆アニマの多様性
ところでユングによると、アニマは4段階を経て発展していく。第1は生物学的な段階、次はロマンチックな段階、そして霊的(スピリチュアル)な段階、最後は叡智の段階である。
生物学的な段階では、子を生む女性の機能や性の面が強調され、イメージとしては娼婦が出現する場合が多いという。次のロマンチックなアニマは、西洋の文学が多く描いてきた、一個の人格として恋愛の対象となる女性である。第3段階の霊的な段階は、聖母マリアに代表される母性と処女性をあわせもった女性像である。最後の叡智のアニマは、中宮寺の弥勒菩薩像が典型的に示している。限りないやさしさと同時に深い知恵をたたえた像である。
私のイメージの中では、女生徒が娼婦になったり、棟方志功の吉祥天になったり、天女になったり、女王になったりしてめまぐるしかった。それらが、ユングの4段階のどれに当たるかを詮索する気はないが、ただ棟方志功の女人図を見て、横溢する女性性とその賛歌、そして宗教性との深い結合にはあらためて強い印象を受けた。
◆解釈とサティ
9日目の面接でその日の報告をした。女生徒が女王に変化し、その女王と一体となったこと。トランプのキングのイメージを見たとき「もう、これと対抗する必要はないのだ」と感じたことなど。それがアニマとの統合だったという捉え方に先生もうなずいてくれた。そして、私の瞑想はイメージによる「形象力」に特徴があり、それが実に印象的だとの感想を伝えてくれた。
私自身は、他の人たちの瞑想との比較は分からない。しかし今回、瞑想中に様々なイメージが展開し、それが自分にとっての重要なメッセージになっていることに強い印象をもった。無意識は、まるで意識的な私から独立した智者であるかのように、私に働きかけてきた。
もう一つここで確認しておきたいのはイメージと解釈の問題である。私にとってイメージをどう解釈するかは、基本的にラベリングによるサティと同じことだった。心随観で適切なラベリングが出ると、そこに深い洞察が生じる。解釈はそれと同じだ。洞察や気づきがあるところには、何かしらの変化がある。「あっ、そうだったのか」という腑に落ちる感じ、それにともなう心身の変化。だからラベリング=解釈が真実を射ていたかどうかは、自分自身にとっては明白だったのである。
◆メガネのイメージ
これに関連して面白かったのは巨大化したメガネのイメージである。そのメガネに意識を集中した瞬間に、ぼろぼろになって泣きべそをかいているメガネのイメージが来た。一瞬「瞑想による気づきに対して、図体を大きくして抵抗している。でもそれが無駄な抵抗だと自ら知っていて泣きべそをかいている」と感じた。私は、思わず一人で笑ってしまった。腑に落ちる「ラベリング」だった。
しかし、その後に再びメガネは復活した。メガネは、やはり重層的な意味をもっているようだ。全体としては抑圧する自我の象徴なのだろうが、その時々にテーマとなっている抑圧に対応して微妙にイメージや意味を変化させる。そして、自我そのものが抑圧する機能である以上、私が自我に囚われているかぎり、メガネのイメージは続くのだろう。地橋先生がいうように、メガネは私の瞑想にとっての「バロメーター」の役割を果たしていくのかもしれない。
◆最終日
最終日は、朝食後、最終面接とレポート書きがあり、その後は昼食そして打ち上げだ。ここで始めてお互いにゆっくり自己紹介したり、この10日間の体験を語り合ったりする。今回の合宿でも劇的な転換や深い瞑想体験がいくつもあったようだ。地橋先生は、そのような効果の理由のひとつが10日間という長さにあるという。決定的な体験の多くは8日目・9日目あたりに集中する。確かに私の場合も9日目に大きな体験があった。たとえ前半の瞑想がさえないように見えても潜在意識のレベルでは着々と準備がなされ、それが最後に一気に顕在化するのだろうか。
今私はこんな風に思っている。まずは腹や足裏など中心対象に集中しつつ、それでも意識に浮上してくる妄念やイメージにもサティを続ける。それは思考する自我の働きを弱め、ただクリアな自覚だけを保つということだ。こうして潜在意識への防御の壁が緩められると、自我にさまざまな情報を伝えるようになる。サティは、それらの情報を見落とさず敏感にキャッチする。おそらく潜在意識の働きが活発化して自我のレベルに一気に流れ込んでくるまでに7日や8日の潜伏期間が必要なのだ。一心にサティをしているとき、意識下では刻々と準備がなされているのだろう。
◆巨木の夢
最後に、この瞑想合宿のほぼ一ヵ月後に見た夢のことを記して終わりにする。明け方の夢だった。妻とともに登山をするため上高地に行った。しかし予報は嵐の接近を報じていた。このまま登れば下山できなくなる可能性があった。それでも登りたいという妻を私が説得し、登山のかわりに周辺を散策することにした。行ったところは、何故か千葉県の九十九里浜に近い、私の母の実家だった。庭の広い農家だった。その横は、子どもの頃から私が好きだった、背の高い樹木が並ぶ道だった。
妻とともにその道を進もうとすると、前方に巨大な樹が見えた。幹の直径が数メートルもありそうな巨木だった。その大きさに驚き、圧倒され、不気味さと畏敬を感じた。大地に根を張り、こずえは高かった。見ると幹の上の方は、表面が人の顔のような形をなしていた。偶然の造形にしてはあまりに人の顔をしていた。
その巨木の強い印象の中で目覚めた。巨木は、合宿やその後の瞑想の中で感じる、日常的世界とは違うある種の感じに共通のものを持っているような気がした。それはまた、無意識の世界に宿る深い智恵のようにも感じた。私の無意識の世界に眠る得体の知れない智恵、ないしは生命。今、私はそれに少し気づきつつあるのだ。しかし、それに出会うと思わず不気味さを感じて、遠のきたくもなる。‥‥‥ユングによれば、巨木はまたこころの成長の象徴であり、天と地、男性と女性を結ぶシンボルでもあった。
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