2004/12/25から2005/1/3まで、八王子で行われたグリーンヒル瞑想研究所の10日間瞑想合宿に参加した。この瞑想研究所での瞑想合宿参加は、今度で4度目になる。帰宅後ダイアリーに掲載して行ったものをここ にまとめて報告したい。
このレポートは、これまでの合宿レポートを踏まえて書いているので読んでいない方は、少なくとも初回のレポートをまず読んでいただければ幸いである。→2001年・10日間瞑想合宿レポート Ⅰ
グリーンヒル瞑想研究所については、以下のURLをご覧いただきたい。 http://www.satisati.jp/
◆はじめに
毎回同じような書き出しだが、今回もまた暮れから正月の10日間を注ぎこむに足る体験だった。そしてヴィパッサナー瞑想という方法への確信も、指導者としての地橋先生への信頼もますます深まった。
これほど素晴らしい瞑想法を、これほどに力量のある指導者からじっくりと学べる幸運に心から感謝している。サティとラベリングというシンプルな方法がどれほど奥行き深く、多彩・微妙で効果的な働きをするか、回を重ねるごとにますます深く実感する。その実感をできるだけ多くの人々に伝えたい。そんな思いでまた合宿レポートをつづっていこう。
最初に、今回の瞑想合宿で学んだこと、印象に残った主なことを箇条書きにする。
1)瞑想の成果への隠された渇愛が、大きく瞑想の質に影響することをまたまた身をもって知った。より一般的には、心の状態が瞑想に直接に強く影響することだ。善心所が瞑想につながり、不善心所が瞑想の乱れにつながる。サティにより洞察が起こったり、執着を手放したりすると一瞬にして瞑想がよい方向に変化する。そんなことを体感した。
2)前回の合宿では、自分の劣等感とその補償としての「研究」やホームページへの情熱という心の在り方に気づいたが、今回はより具体的な劣等感の中身に気づき、その一部を受容していった。
3)無意識の心の働きの絶妙さに感嘆した。さまざまなイメージが深い意味をもって私に働きかけ、私を何かしらの統合に向かって導いた。と同時に、そういう深い無意識の活動を促すヴィパッサナー瞑想という方法の素晴らしさにあらためて強い印象を受けた。
4)ヴィパッサナー瞑想は、心の抑圧を浮上させ、解放するきわめて合理的で優れたシステムであり、その基本はサティ(気づき)とラベリングである。この方法の単純さのなかに実は、無意識を浮上させる驚くべき力が隠されている。その力をあらためて体験した。
1 「絶不調」からのスタート
◆「絶不調」からのスタート
今回の瞑想合宿の瞑想も「絶不調」から始まった。そしてその状態が2・3日続いた。むしろ前回よりもひどかったかも知れない。半分夢心地のような状態で妄想を追ってしまい、ほとんどサティが入らない。眠りに陥るわけではない。夢のような妄想に巻き込まれて、ハッと気づくが、サティを入れる間もなく次の妄想に巻き込まれる。その繰り返しだ。
あまりにひどい状態に思わず「サティが全然入っていない!」というラベリングが飛び出した。その事実に対する軽い驚きをともなった言葉であった。その直後に急にサティが入るようになった。10分も経たないうちにもとの状態に戻ってしまったが、不意に浮かび上がるような、事実をあるがままに捉えるラベリングが、状況をみごとに変化させることに強い印象をもった。
しばらく人が使っておらず冷え込んだコンクリートの建物は、どうしても最初は暖まりにくい。そのためか2日目あたりまでは、寒さと戦いながらの瞑想となった。しかし、瞑想に集中できなかったのは、そのためだけではない。やはり、渇愛のせいだったかと思った。あれほど注意していたのに、どこかでよい瞑想をしたいという無自覚的な渇愛を心に忍び込ませていたのか。
◆やはり渇愛か
最初の面接(2日目)で先生にこのひどい状態を伝えると、「前回の前半の状態とよく似ているが、単純に同じ轍を踏んでいるとも思えない。かといって他の原因も考えられないので、やはりよい瞑想への渇愛があって、心はより巧妙な隠蔽工作をしているのではないか」とのことであった。
私自身、前回のようなサマーディへ単純な渇愛にはもう囚われてはいないと感じていた。しかし、「渇愛があればよい瞑想はできない」と体験的に知ってしまった心は、表面的な渇愛は消し去っても、より巧妙で手が込んだ手口でやはりどこかに渇愛を隠しているのかも知れない。
「まったくサティが入らず瞑想にならないというのは、心がある現象を明らかに引き起こしているということだ。渇愛なり何なりの不善心所がその現象を引き起こしているのは確かだろう。もしそれをサティによる洞察で解消するなら、それが本質的な自己理解につながっていく可能性もある」、先生はそう言って励ましてくれた。
◆もう一つの渇愛
3日目も、朝起きてすぐの座禅以外は、やはりサティが入る前に次々と妄想が展開してしまう状態だった。途方にくれながらも、座禅をしたり、歩行瞑想をしたり、ときには条件や雰囲気を変えて喫茶室で座禅をしたりして、瞑想を続けていた。
夕方、風呂からでたあと喫茶室で瞑想したがやはり妄想ばかりでほとんどサティが入らない。場所を移動し、一階の部屋で座禅。これも同じようにダメ。困り果てて一階の部屋から出た。階段を上がる。一段上がる度に足の上げ下げや移動、筋肉の動きにサティをしていく。歩行瞑想と同じだ。こんな動作にはサティが入りやすいのだが、いつしか思考モードになっていた。「さて、どうしたらよいのか。」 そのときふと、自分が本当は何を求めているのかが分かった気がした。「やはりそうだった」と実感した。
私がこの合宿で求めているのは、気づきをさらに深めることだ。前回の合宿で私は、思いがけなく自分の劣等感を実感し、その補償として本を書いたり、ホームページ運営をしたりしている面があることに気づいた。ヴィパッサナーには、こういう洞察を起こす力があることを実感した。だからこそ、さらにその洞察を深めたい、できれば劣等感を解放したいと願ってこの合宿に臨んだ。やはりそれが私のいちばんの動機なのだ。そう実感した。
その実感の後に、しかし何か割り切れない感じが来た。この願いはまっとうなものだと感じたのである。だとすれば、なぜ瞑想がこんなにもガタガタになるのか。そこに理不尽なものを感じた。そしてその瞬間に気づいた、洞察を深め、劣等感を解放したいという願いの背後に、もうひとつの別の渇愛が隠れていることを。それは、この合宿での体験をもっとよいレポートにして発表し、評価されたいという渇愛であった。
洞察を深め、劣等感を解放したいという思いは、より成長し、自由になろうとする心の動きであり、善心所であろう。しかし、よいレポートをして評価を得たいという「期待」は、劣等感に根ざす補償行為であり、渇愛なのだ。それまで、瞑想そのものへの渇愛が妨害になっているとばかり考え、よいレポートを書きたいという渇愛にはまったく気づいていなかったのである。
そう気づいたとき、「なるほど、そうだったのか!」と「腑に落ちる」感じがあった。そして瞑想が一変した。階段での気づきのあと、そのまま上がっていった2階の座禅室で座った。15分ほどだったが、これまで悩まされていたのが嘘のように、クリアな意識で苦もなくサティが入っていく。そのあまりの違いに驚いた。心の状態、たとえば隠された渇愛が、いかに瞑想に直接影響するか、ここでまず実感したのである。
◆気障なメガネ
しかし、それで問題がすべて解決するほど単純ではなかった。その日の夜の2回の座禅は、前半こそサティが入っていたが、後半眠気が来た。4日目の朝いちばんの座禅はとてもよかった。時折思考はあるがすぐにサティが入り、同時に腹の動きに戻れた。しかし、朝食後すぐの座禅とその後の歩行瞑想は、かなり強い眠気がずっと続いた。「昨日の気づきがあったのになぜ? 眠気の原因は他にあるのか」という疑問が湧いた。食事が眠気の原因とは考えにくかった。すでに3回の合宿経験があり、多過ぎも少な過ぎもせずに自分の適量をとっていたからである。
ダンマトークの終了後に座禅、そのあと歩行瞑想。またもや思考が多くなる。足裏の感覚に戻ろうとしても思考が次々に湧いて来る。いつしかサティを忘れて思考の団子状態となる。ハッとしてサティを入れ、また足裏に戻る。そんなことの繰り返しだ。実をいうと3日目あたりから、また例のメガネの錯覚が出始めていた。出たり消えたりだったが、そのときはなぜかフレームの両端が尖がったセルロイドの気障なメガネに感じられた。そこから心随観が始まった。
私は一方で、求道者であり、生死の真実の探求者であった。それは嘘偽りない自分の姿であり、自分のいのちの底流をなしていた。他方で私は、自己愛や名利を求めようとする渇愛に囚われている。その矛盾、真実を求めながら「自己」拡大への渇愛に囚われていることのウソ、それがセルロイドの気障なメガネになって表れているような気がした。 昼食後すぐの座禅も眠気が多かった。仕方なく3階へ行って歩行瞑想を始めたが、やはり思考が多い。何とかしなくてはと、足の感覚のラベリングを実態に合わせて細やかにとっていった。たとえば、足が絨毯に着く瞬間の感覚をたんに「着」とするのではなく、感じているままに「ソフト」としたり、ラベリングはなしだが、足裏のあちこちの部位の感覚の変化を細やかに感じ取ってサティしたりした。そうすることでかなり思考が少なくなった。
◆求道こそ生きる意味
そうやって足裏の感覚の微妙な変化にサティをしていると、ふと「真実でない」という言葉が浮かんだ。歩行瞑想を止めて喫茶室に移動し、この言葉から心随観をはじめた。私のいのちの底流は、求道であり、生死の真実の探求であった。そのことを私は、これまでもずっと意識のどこかでは分かっていたが、このように明確な言葉とともに強く自覚したのは初めてであった。
私のいのちの本質は、求道であり、それが生きる意味だ。それ以外の一切は飾り物にすぎない。にもかかわらず私は、エゴの評価をもとめて必死になっている。そのことが「ウソ」として、「真実ではない」こととして浮上してきたのだ。結局これは、最初の気づきをより深いレベルで捉えているようだ。
より深い内面への気づきと、劣等感からの解放とを求めるのは、私の底流から来る願いだ。しかし、合宿の体験をよいレポートにして評価されたいという渇愛はエゴだ。その渇愛が瞑想を邪魔していた。そしてその底には、求道とエゴ追求との矛盾があったのだ。自分は求道のために生まれて来たという遠い記憶が、ますますくっきりと形をとり、疑いようもない事実となる。しかし一方では、相変わらずエゴの追求によってそれをかき消そうとしている。その愚かしさとウソは、気障なセルロイドのメガネでもあった。
◆「こんなのまやかしだ」
その後、かなり眠気の多い座禅や思考の多い歩行瞑想をしているうちに夕方になった。5時ぐらいから一階で座禅を始めた。やはり強い眠気で腹に全然集中できない。あがき、もがいているような状態だった。あまりにひどいので少し「気」を取り入れて集中力を高めようとした。すると何がしかの禅定に入りやすかった。そのとき突如として「こんなのまやかしだ」と頭のなかで叫んだ。「求める心の大ウソ」、「カニカ・サマーディなんかくそ食らえ!」
そして頭頂からスーッと気が通る感覚があった。体が緩み、抵抗なく体中で気が出入していた。声は出さなかったが、笑い出したい気分だった。何かしら神秘な瞑想体験、深い禅定や瞬間定を求める心の大ウソ、エゴのまやかし。小さなエゴのケチな欲求。そんなものはくそ食らえ。何かがストーンと落ち、解放された爽快さがあった。
◆何度も繰り返す愚かさ
しかし、次の瞬間にはすでに戸惑いがあった。瞑想を求める心のなかにやはり深い渇愛があった。ない、ないと思っていたけど、やはりあった。せっかくその愚かさを実感し、解放されたのに、瞑想を始めればまた求める心が出てきて、妄想に巻き込まれていくのではないか、そんな戸惑いだった。とすれば私は何をすればいいのか。何も求めない心でサティを続けることができるのか。
合宿に入って何回か、同じことを繰り返してきた。ひとつの渇愛に気づく。急にサティが入るようになる。すると、今度こそもっと深い瞑想ができるぞ、という次の渇愛に囚われる。そして瞑想がダメになる。その繰り返しだ。
そしてまた同じことを繰り返しそうだ。その愚かさよ。しかし、深い禅定をもとめるエゴの滑稽さを一度こうして実感したからには、たとえまた渇愛に囚われても、再びここに戻ってくるだろう、何度でもここに戻ってくればいいのだ。そう思って再び瞑想を始めた。
トイレで、「今度こそうまく行きそうだ」と再び思っている自分に気づいた。そこにはすでに求めるこころ、渇愛が忍び込んでいた。「また同じことをやっている」と一人で声をたてて笑ってしまった。しかし、その後の座禅は、就寝までずっとよい状態が続いた。サティが安定的に入るようになった。4日目にしてようやく瞑想が軌道に乗り出したのだ。
合宿中は、どんなにあがいていても瞑想以外にすることはないから、もがきながらも瞑想を続ける。すると突如として水面から顔一つ浮き出るようなことが起こるのだ。それはつかの間のことだが、その最中はエゴの愚かさがはっきりと見え、解放される。瞑想とサティそのものの力がそんな状態を生み出すようだ。少なくとも意識の意図を超えたところでそれは起こる。再び水面下であえぐにせよ、一度視界が開けた記憶は残り、ヴィパッサナー瞑想を続けていればやがて意図せぬ転回が起こる。この瞑想にはそんな力がある。そういう確信が強まっていく。
◆若き日の痛手
5日目も瞑想は安定し、サティが持続的に入るようになっていた。少なくともこれまでのようなひどい状態にはならなかった。ダンマトークのあと1時間20分ほど座禅を続けた。途中で足は組み変えたが、とくに後半努力なしに集中とサティができるようになった。
座禅中、職場のある人物と比較して自分にはリーダー性がないと劣等感を意識した。そこから、20代のころに主催していた心理療法の学習グループを思い出した。そこでの指導力にも自信がなかったのである。さらに、そこで出会った一人の友人を思い出した。その友人は、私がかかえる性格上の問題点を徹底的に攻撃した。私は、深く傷つき、数日間外出もせずにベッドで体を丸めて落ち込んでいた。瞑想のなかで最初は、何を攻撃されたのか思い出せなかったが、やがて内容をほぼ思い出した。その直後から、からだがスーッと楽になり、腹の動きに気持ちよく集中できるようになった。凍りついていたものが少し溶け出したのだろうか。すっきりとした気分で座禅を解いた。
◆切り替え
昼食後の歩行瞑想でも、足裏の感覚を苦もなく追うことができ、これまでとの大きな違いに「なんだ、こんなに楽にできるんだ」と驚いた。その後、7~8分の仮眠をとって再び座禅をした。ますます瞑想は安定し、努力感なしに楽にサティが持続した。ときに夢のようなイメージに何度か入りかけるが、イメージが展開する前にサティが入った。 しかし、この日の夕方、3階で歩行瞑想をしたときは、かなり思考モードでの心随観になっていた。5時ごろからの1時間の座禅も再び思考が多くなっていた。
6時過ぎから4回目の面接があった。地橋先生に、思考モードでの自省が多くなっているのではないかと指摘された。確かに心随観をしていると、ついついサティが甘くなり、思考に流されてしまう傾向がある。「心随観は、今日で打ち切りにしよう」と先生が提案した。自分の心の状態にラベリングしていく心随観ではなく、腹や足裏のセンセーションにサティを入れ続ける身随観に切り替えるということだ。イメージや思考が湧いても、その内容を深追いせずに、すぐ中心対象に戻る。何かを見たり聞いたりしても知覚対象の中身にまでは立ち入らず、「見た」「聞いた」とラベリングして「撤退」する。
今回の合宿で先生が何回か強調していた。「思考はエゴの働きであり、エゴが中心になってエゴが裁量している。だからエゴが許す範囲のことしか見えない。雑魚は多く引っかかっても、大物は捕まらない。『撤退』型のサティに徹してある程度思考が納まってくると、思考という小さな網ではすくい切れない大物が現れるのだ」と。
自我は、自ら認めたくないことを抑圧しているのだから、自我が裁量する思考によって気づけることはたかが知れている。しかし、腹や足裏などを中心対象にしてサティを続けるとどうなるか。抑圧されたエネルギーは、集中しようとする自我を裏切り、その裏をかいて、特定の知覚への関心や傾向、連想、イメージ、投影などに姿を変えて浮上してくる。中心対象をはずれて心が何かに向かったり、囚われたりしたら、それは抑圧されものの磁力による場合が多いのだ。だから「優勢の法則」にしたがって、そのつど心に優勢になった対象にサティをすることが、抑圧されたものへの気づきと解放につながっていく。これは、自我が裁量する思考では出来ない仕事なのである。
先生に提案され、私自身も、心随観はここで打ち切りにし、身随観に切り替えた方がいいと感じた。納得して面接を終え、一階で座禅を始めた。座禅をはじめてすぐにこれまでとの違いに気づいた。クリアなサティが次々と入っている。今回の合宿ではいちばんよい。ほとんど思考に巻き込まれず、思考が起こってもすぐにサティが入った。引き続き行った座禅も、どれもクリアなサティが続いた。心随観でガタガタになっていたサティが、心の切り替えで一気に立ち直った感じだった。
2 吉祥天
◆吉祥天
6日目、午前3時ごろに目覚める。起床時の4時まで40分ほど寝床の上で座禅。ほとんど思考が入らず、腹の動きにサティが持続する。起床後の座禅も同様であった。ダンマトーク終了後、最初の座禅も同様にクリアなサティが続いた。たまに思考が入るが、すぐサティされた。何回か、ある女子生徒のイメージが浮かんだ。一瞬、その女子生徒の姿が、棟方志功の版画に描かれる女人の姿に重なった。「吉祥天だ」と思った。
その女子生徒は何年か前に前任校で教えていたのだが、実は彼女のイメージは3日目か4日目あたりから、頻繁に脳裏に浮かんでいた。10回、いや20回をくだらなかった。元気のよい子だったが、髪を黄色に染めたおきゃんな生徒であった。フリーターをやるといって卒業していった。私は彼女に、とくに好感情も悪感情も持っていなかった。なぜ彼女のイメージが、これほど頻繁に浮かぶのか、分からなかった。
彼女が、棟方志功の描く女人の姿に重なったのである。ぽっちゃりとしていたから、輪郭はある面で似ていたかもしれない。後にインターネットで調べたところ、棟方志功作の「吉祥妙朝顔蘭菩薩図」というのが見つかった。ただし、この絵の細部まで覚えていて、それが女子生徒のイメージと重なったわけではない。棟方の版画の女人らしきものが見え、それを一瞬「吉祥天だ」と思った(感じた)だけである。
◆娼婦、魔性の女
その後は、歩行瞑想では思考がやや多かったが、座禅はクリアなサティが続いた。夕方、面接終了後、風呂に入り、そのあとまた座禅。相変わらず腹への集中は続く。ただしメガネがいやに大きい。大きすぎる。なぜこんなに大きいのか理解できなかった。
9時半前後に、毎晩喫茶室で補給をした。今回はミロに蜂蜜をたらしたものを一杯と、朝か昼に出た菓子類の一切れを食べることにしていた。朝いちばんの瞑想がエネルギー切れにならないようにするためだが、もしかしたら菓子類の補給は不必要だったかも知れない。その補給の前か後に、テーブル脇の椅子に座って瞑想していた。またあの女生徒のイメージが浮かんだ。今度は、彼女が娼婦となり、化け猫の妖怪となり、魔性の女へと変化した。
◆泣きべその意味
10時前から、寝床の上で最後の瞑想をした。メガネがまた大きい。意識をそこにもって行くと、一瞬メガネが泣きべそをかいている印象が浮かんだ。メガネは、抵抗してフレームを巨大にしたものの、無駄な抵抗だとは知っていて、それで泣きべそをかいているのだと感じた。異様に大きくなってみたものの、それは無駄な抵抗だとメガネ自身が知っていて悲しんでいる。このイメージには、一人で思わず笑ってしまった。
実は6日目の瞑想では、女生徒のイメージが頻発する以外に別の気づきが進んでいた。すでに触れたが、5日目に若き日に友人に攻撃されて深く傷ついたことを思い出した。6日目には、それに関連した別の記憶や、それらに共通した自分の根深い劣等感に気づき、直視を避けていたコンプレックスの実態が見えはじめていた。心の底で凍りついていたものが解け始めていたのだ。それを見まいとする抵抗のシンボルがメガネであった。メガネは、ヴィパッサナー瞑想という手ごわい相手を前に「負け」を感じて泣きべそをかいていたのである。
もちろんこれは、メガネの意味の一面にすぎない。メガネは、その意味合いに応じてイメージが変わる。4日目にセルロイドの気障メガネだったのは、私の虚栄や名利欲を反映してのことだろう。メガネは、広い意味ではおそらく自我による防衛と抵抗の象徴なのだ。しかし、何に対する抵抗かによってそのつどイメージや強度を変えるらしい。
◆男性性への対抗
7日目、昼食後に3階で歩行瞑想をしていた。ゆっくりと足裏の感覚を追うのではなく、ラベリングをかんたんにして少し早めにリズミカルに歩いた。脳の低いバイブレーションと静まりの中で、ある程度の集中を感じていた。隣では、T氏が歩行瞑想をしていた。彼のそばを通りすぎたとき、「背が高くがっちりしているな」と思った。その直後に、私はある研究誌に連載中の論文のことを考えていた。
喫茶室で補給をしながら、先ほどなぜ急に論文のことに思考が飛んだのだろうと思った。そして「あっ」と気づいた。私は、T氏の男性的な面に対抗していたのだ。自分が男性的でないことに劣等感を感じていて、それに対抗するために自分の得意な部分を意識したのである。性格は小心で気弱で女々しいが、私の男性的なところは別な面にある。全体的な視野から体系化する構想力、対象の理論的な矛盾を明らかにする理論性などである。無自覚のうちにそういう自分の男性的な面で「勝負」しようとしていたのである。
◆抑圧を浮上させるプロセス
腹の動きや足裏の感覚などを中心対象として、その一瞬一瞬の感覚にサティをし続ける。中心対象への集中は、一般的に、とくに初心者の場合は、自我の努力によってなされる。当然、集中は途切れることがある。たとえば歩行瞑想ですれ違った人の体格のよさに注意が向く。これは、自我による努力の方向が何ものかによってさえぎられ、そらされたということだ。気づいて、「体が大きい、と思った」などとラベリングし、再び中心対象に戻る。しかしすぐに、連載中の論文に意識が飛んで思考が始まる。気づいて「思考」とラベリングし、中心対象に戻る。そんなことを繰り返すわけだ。
このように意識が他の対象に飛ぶこと自体は意識的なプロセスではない。何に注意が飛び、どんな思念やイメージが浮上してくるかは、自我による裁量を超えている。抑圧に関係した対象やイメージ、思念や感情が、自我の努力を裏切って浮き上がってくるのだ。それらに敏感にサティを入れ続ければ、やがてイメージや思考相互の関連が見えてきて抑圧されたもの全体像が姿を現す。ヴィパッサナー瞑想のこの方法は、自由連想や夢の分析やカウンセリングなどに比べてかなり強力だというのが、私の感想である。しかも、これはヴィパッサナー瞑想の一端にすぎない。瞑想合宿の回を重ねる毎に、ヴィパッサナー瞑想の素晴らしさ、奥深さに魅せられる理由が理解していただけるだろうか。
◆無明の雪
歩行瞑想のあと喫茶室でお茶を飲んだ。前回の夏の合宿の最終日のことを思い出した。打ち上げ前の雑談のなかで輪廻と解脱の話題になった。原始仏教を熱心に信じる二人の参加者が、「解脱が最終目標とは言っても、やはりあと数回は生きたい」と話していた。冗談半分だったかも知れない。その時、私自身はどうかと自問した。驚いたことに、再び生まれてきたいという気持ちは出てこなかった。むしろ、これ以上は、生まれてきたくないというのが正直なところだった。
外は静かに雪が降り積もっていた。それを眺めながら、なぜか三人の子どもたちのことを思った。私と同じように無明を、しかしそれぞれ独自の無明を生きていくだろう子どもたち。できれば無明を苦しんでほしくない。さまざまな劣等感や渇愛や囚われによる無明の生を苦しんで欲しくない。‥‥‥ そして気づいた。私が輪廻を繰り返したくないのは、無明の生を繰り返したくないということなのだ。無意識につき動かされるようにして無明を生きることの苦しみ、哀しみ。それを繰り返すことを少しも望んでいない自分に気づいた。
二階の座禅室へ行った。座禅のはじめに、参加者のひとりひとりに慈悲の瞑想をした。そして瞑想に入った。さまざまなイメージ、そして性的な妄想すらあった。しかし、しだいに集中が深まった。すっきりとした気分で瞑想を解いた。座禅室の窓からは、裏手の木立やその向こうの集落が見下ろせた。雪が降り積もり続けていた。瞑想の余韻の中でそれをしばらく見ていた。無明の雪がいつまでも降り積もっていくのだと思った。と同時に、降り積もる無明の雪もやがて溶けていくことをどこかで感じていた。12月31日、大晦日の雪であった。
その夜、面接後の座禅は、深い集中の中でサティが続いた。最初は、面接の内容を反芻する思考が湧いたが、すぐに腹へのサティが連続し始めた。努力感なしにサティがどこまでも続いた。腹の感覚がきわめてクリアで、その状態がずっと続いていく。一瞬、腹が巨大化し、その中に自分がいるようなイメージがあった。すぐに「イメージ」とサティすると実物大の腹に戻った。1時間後、就寝準備の鈴の音とともに、痛くなっていた足をほどいた。
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