これは、安藤治『私を変えた「聖なる体験」 』(春秋社)に収録された事例である。
Jさんは、最初の出産で、出産時の脳損傷のため重症の障害をもった娘さんを産んだ。その事実を知った衝撃、そしてその後の生活の想像を絶する苦労。家の中は糞尿にまみれ、すぐに激しいけいれいが起こる娘さん。おむつを洗いながらとめどもなく涙がながれた。「神も仏もない」、「私の人生は終わった」と嘆いた。
やがて彼女はたった一人で「障害者運動」をはじめた。
「ハンディーをもつ子供たちをふつうの子たちと同じように」と始められた運動は7年後に2000人もの会員を擁するようになった。
しかし、 やがて彼女は「もっと根本を考えなければいけなかったのに、外側にばかり解決を求めていた。自分の内側をきちんと見なければダメだ」と思うようになる。彼女は自分がはじめた大きな社会運動を解散させた。多くの非難を浴びたが、彼女の決意は堅かった。
以下『私を変えた「聖なる体験」 』から引用する。
混沌とした日々が続いた。「外側に求める」のをやめたとしても何かそれに変わるものがあったというわけではない。一人だけのさみしさ、弱さもつくづく味わう毎日だった。
そんな日々のなか、ふとJさんの目に止まるものがあった。新聞に出ていた禅の本の広告の「あるがまま、なすがまま」という言葉である。彼女はそれを見ると、翌日すぐに禅寺に向かったのだという。いてもたってもいられない気持ちで、寺が開くまで夜中から門の前で待ったほどだ。
寺に飛び込むと、Jさんはひたすら座らせてもらった。ものすごく気持ちが落ち着いた。「あーこれなんだ」。「ここにしか本当のことはないんだ」。「やすらぎ、静けさ、この気持ちで接することができたら、運動も何も必要はない」「なすべきことをやらないで運動ばかりしていた。苦しみから逃げるために運動にすりかえていたんだ」。
深い感動と静寂のなかで、Jさんは進むべき道を得た。いままでやってきたことが「音をたてて崩れていくような気がした」と彼女はいう。
Jさんはその後一年間、毎日なりふりかまわず禅寺に通い、座り続けたとのことだ。何カ月も人に会わない日々が続いたが、一年を過ぎたころからは、遠出もするようになった。そして、Jさんは、各地にでかけ、水行などを行ったり、キリスト教や神道などにも体験を通して関わるようになっていった。
もちろん、Jさんはそうした道のなかで数多くの深い体験をしている。だが、彼女にとって自分を変えた最も大きな体験は、と聞かれれば、迷わず一つの大きな体験があるという。それはいまから六年ほど前に訪れた。
娘さんの体調がひどく悪く、その看病疲れも極限的な状態に達していたある日だった。その日は、滅多に口にしなかったコーヒーやアルコールなども、ストレスを紛らわすために少し取り過ぎていたようだという。夜十時ごろだった。自宅でくつろいでいたのだが、急に呼吸ができない状態になってしまい、「七転八倒の苦しみ」のなかで「血の気が引いていった」という。「死ぬと思った」その時である。全身の毛穴のなかから「何かが抜け出し、上に上がっていく感じ」がした。気がつけば、それは自分の意識だったのだが、天井から下を見ている自分に気がついたのである。倒れているJさんを見て、友人があわふためいて救急車を呼んでいたという。
ただ、Jさんは妙に落ち着いた気持ちだったとのことだ。「あー、窓が開いている。子供が風邪をひいちゃう。窓を閉めなくては。帰らなきゃ。ごはんを食べさせなくちゃ、この子は死んじやう。帰らなくちゃ」。そう思ったとたん、意識は身体のなかにあった。そしてまた、「七転八倒」の苦しみのなかにいたというのである。
実際に身体に「死」の危険が訪れていたのかどうかはわからない。だが、彼女は、その時から「死」というものに何の恐れもなくなって、生きることにさえも執着しなくなったと語っている。「なーんだ死ぬってことは死なないってことじゃない」。Jさんは奇妙な、そして飛び上がるような至福感を感じたのである。
彼女は詩を作っている人なのだが、その体験の後で最初に書いた詩が次のようなものだ。
あ-な、うれしや
あ-な、おかしや
あ-な、おもしろ
あな、めでた
それまではうまく作ろうという気持ちが強かった詩作も、それ以来は、「そのままでいい」と思うようになったという。
「この世界がすべてではないことがわかった」。
そして「木も車も、人の心もみな一つに溶け合って生きている。木の葉の一枚も本当に生きている、そして生かされている」
「迷うことは何もない。自分の思うままに生きればいい。問題が起きたら、ただ受け止めればいい」
「ただそれだけ」。
Jさんは「迷うこと」がなくなった。そして、振り返れば、考え方が「百八十度変わった」という。あれほど苦しんだ娘さんの問題も、いまでは、「苦しいことも悲しいことも味わわせてもらったんだな」と感謝の気持ちをもっている。「苦しみ、悲しみ、そういうものは全部自分の感情が作っているということがよくわかった。それを娘は私に教えてくれていたんだ」と。
いま彼女は「よくやってきたな」と自分に対しても素直に誉められるようになったし、「娘をもたせていただいたことが本当によかった」と深い感謝の気持ちを抱いて毎日を暮らしている。そして、Jさんはいう。
「生きていること、日常そのものが瞑想なのだ」と。
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