5.気功家の超能力
さて、こうした電気感受性人間の超能力やサイッキック能力に対して気功家の場合はどうであろうか。もちろん気功家の場合にも超能力やサイッキック能力を持つ例がかなり多く報告されている。よく知られているように中国では気功家の超能力のことを「特異功能」と呼び、国家の援助による研究も盛んとのことだ。したがって気功家の「特異功能」に関する報告にもこと欠かない。そのいくつかを紹介しよう。
「中国気功科学研究会」という国家機関の名誉理事である張恵民によると、浙江省の区漢栄と江波という二人の気功家は、相次いで重病にかかったが、気功の鍛練によって自分たちの病気を治したばかりでなく、ほかの人の病気を発見することもできるようになった。区漢栄は、患者の病気の部位を「空間に形成された電磁場によって感知」できるといい、江波は内臓の表面の色を透視することができるという。
また、この二人の指導のもとで気功を習い、自分の心臓病を治した十三歳の少女は、病気が治ると同時に透視ができるようになったという。この少女は、たとえば患者に肝臓病があると自分の肝臓にも不快感を感じるというふうに、自分の体に感じる不快感をもとに患者の病気を診断する。(張恵民『中国気功法』日本気功協会訳、徳間書店)
日本医科大学教授であり、脳波の研究で名高い品川嘉也氏も、かつて中国を訪れたとき似たような能力をもつ気功家に出会ったという。その気功家は、同行したある日本人女性を診断した。彼は、その女性を2~3分じっと見てから「左側の上の背骨にケガのあとが残っています。左側の乳腺のところが、気の流れがあまりよくありません」と診断したという。気功家が指摘したのは、この日本女性がかつてモンブラン山中で雪崩に遭い、800メートルも滑り落ちたときの傷跡だったようだ。(品川嘉也『気功の科学』光文社)
日本の気功家の超能力については、筆者自身のささやかな経験にまず触れてみよう。筆者の気功入門は、まず西野流呼吸法から始まった。西野流の道場に通い始めて数カ月たち、ようやく「対気」で弾けるように壁の反対側に飛ばされるようになったころ、医療気功で活躍する、ある気功家にお会いする機会があった。その気功家にお会いして挨拶が終わるか終わらぬうちにいきなり彼は筆者に聞いた、「あなた、硬気功やっているね」 西野流も硬気功(武術気功)の一種と言える部分がある。つまり、そのときすでに筆者は何かしら西野流の波動と呼べるものを身に付けていて、それが彼には見えたか感じられたかしたのであろう。そしてこれも、一種の「超能力」といえるだろう。
もちろん、すでに何度か触れた西野氏自身もしばしば「超能力」を発揮している。そのなかでとくに筆者の印象に残っている話を紹介しよう。サイパンで西野流呼吸法を紹介するビデオを撮影した折りのことである。スタッフは、太陽の位置や潮の干満をも慎重に考慮して、左右にひろがるビーチから海へ突き出たある場所をロケ地に選んだという。この地を熟知し、同じ時刻に何度もそこでロケを経験してきた現地コーディネーターとともに、すべての条件を確認したうえ、自信をもって西野氏らの到着を待ったのである。ところが西野氏はその場所を見るなり「ここはダメですね」と一言。一同呆然として、理由もわからぬままに急遽手前の砂浜へ移動、そして再度準備を整えた。ほぼそれと同時に、西野氏がダメだと言った砂浜は彼らの目の前で波に呑まれて消えていった。西野氏の「予知能力」を見せつけられたスタッフたちは、ひたすらため息をつくばかりだったという。(『“気”の発見』)
山梨大学の教授であり、脳波による「精神生理学」の研究で知られているすぎ村憲之氏も、気功との出会いのなかで不思議な「特異功能」をみずから経験している。龍門気功の第一人者である屠文毅の脳波測定を依頼された氏は、それが縁となって屠文毅から気功の指導を直接受けるようになった。
その結果、意識は深海にあるように静かに澄み、体は、「ゴールドオレンジのオーラに包まれ、あたりには紫色の霞がたなび」くような「完全な入静」をみずから体験するまでになったという。そして、やがて頻繁に「特異功能」を発揮するようになる。たとえば、実習中の女子学生が友人に支えられ、体をくの字に折り曲げて苦しんでいる。ついそれをじっと見てしまうと、とたんに氏の胃袋もキリキリと痛みだす。
ところが氏の痛みが消えるか消えないかのうちに、当の女子学生は胃痛が治って、にこにこ顔になる。さらに「肩凝りが飛んでくることもある。病人の多い場所には近づけない。ひどい病人の側によるとめまいがして困る。電話でも手紙でも名刺にさえ感じるのである。他人が飲んでいる酒に酔うこともある。」(『「気」の大事典』新人物往来社)
いくつかの印象的な具体例を見てきたが、では「気」と「超能力」との関係はどう理解すべきなのだろうか。中国の研究者たちは「気」の科学的な解明に極めて熱心に取り組んでいるようだ。現在までのところ気功師が放射する「気」は、遠赤外線輻射、静電気蓄積、磁気信号、超低周波、フォトンなどに関係するらしいことがわかっている。ところで中国の研究者たちは、「超能力」すなわち「特異巧能」の研究にも同じように熱心である。しかしこの方面の自然科学的な研究となると実際にはほとんどお手上げのようだ。気功による透視、遠隔視、予知、テレパシーなどのもろもろの「特異功能」については科学的に満足のいく説明はほとんどできていないのである。
透視、遠隔視、予知、テレパシーなどは、人間の心理的な作用に深くかかわっている。要するに「こころ」の「超能力」なのである。そして、心理的な作用や精神的な能力を自然科学的な方法(すなわち物理・化学的な方法)で解明し尽くそうとすることには、そもそも方法論にいっても無理な話なのだ。にもかかわらず多くの気功師たちが、透視、遠隔視、テレパシーその他の「特異効能」を発揮する。
それは、「気」がこうした「特異功能」を可能にする精神的な次元に何かしらかかわっていることを暗示していないだろうか。つまり「気」は、物理的な次元・生理的な次元にかかわると同時に「こころ」の次元にもかかわるらしい。
「気」を自然科学的に解明しようとすればするほど、自然科学では理解できない重層性に直面し、逆に自然科学的な物の見方そのものを変更することを迫られる。「気」を真正面から研究しようとすることは、近代科学的な世界観そのものを問題にするという、とてつもなく大きな課題に直面することでもあるようだ。
00/03/18追加
6.臨死体験者が起こす電磁気的現象
ところで、近ごろ「臨死体験」に関する本が日本でも次々と出版され話題を呼んでいる。
筆者は、「気」の研究とともに「臨死体験」の研究こそが、近代科学の物質主義的・機械論的な世界観を超え出て、全く新しい科学のパラダイムを切り開いてゆく二大研究テーマになるだろうと予想している。
しかし、そんな大袈裟な共通項だけでなく、「気」と「臨死体験」との間には、もっと具体的で不思議な類似や関連が見受けられる。その一つが、臨死体験をした人々の、その後の生理的な変化に関するものである。
たとえば、アメリカのある女性は自分の臨死体験後の生理的変化のひとつをつぎのように語っている。
「‥‥わたしがいると、電子機器はみんな壊れてしまうの」「臨死体験後にわたしの体のまわりに発生するバイオ・エネルギーの場が電子機器に影響を及ぼすの。そのエネルギーは、コンピュータやコピーの機械のようなマイクロチップを使う機械には何でも影響を与えるみたい。普通の車のバッテリーでも、わたしが近づくと、ときどきあがってしまうことがあるの。わたしが近づいて、切れた電球がついたこともあるけれど、反対に、わたしが通り過ぎたとたん、街灯が切れたこともあるわ」「わたしが銀行に行くと、コンピュータが動かなくなるから、行かないようにしているの」(バーバラ・ハリス+ライオネル・バスコム『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』立花隆訳、講談社)
また、ある統計的な研究によると、子供のころに臨死体験をした成人の四分の一以上が、腕時計をはめられなくなったという。この相関関係が明らかになったのは、臨死体験者へのアンケートの中に「時計をはめたり、電灯その他の電気器具を使ったりするとき、なにか困ることがありますか」という質問を入れたからだ。たとえば、ある男性は五年間に時計を三つ買ったが、すべて次々に壊れてしまった。しかし、その時計を息子たちにやったところ、修理もしないのにまた動きだしたという。臨死体験をした人々にとって、この手の経験はむしろありふれているようだ。(メルヴィン・モース、ポール・ペリー『臨死からの帰還』木原悦子訳、徳間書店)
さらに、次のような体の変化を語る臨死体験者もいる。
「信じていただけるかどうかわかりませんが、私の手が電気放電を起こして火花が散ることがあるんです。そのエネルギーが私の体の中をグルグルグルグル駆けめぐっているのです。手は火がついたように熱くなって、ヒリヒリ、ピリピリします。エネルギーが指先から流れ出て行くのが、自分でもわかるんです。」(立花隆『連載・臨死体験⑪』雑誌「文芸春秋」1992年6月号、ケネス・リングの研究より)
これら臨死体験者たちの生理的な変化の報告は、電気異常の人々や何人かの気功師たちの体験と驚くほどよく似ている。もちろん臨死体験者たちの体験後の変化には様々な側面があり、「事後効果」として盛んに研究されている。そのもっとも重要な側面が、体験後の人格変容に関するものだ。臨死体験はほとんどの場合、体験者のその後の生き方や人格や価値観をプラスの方向に変えてしまう。その変化の核心には、宗教的な「覚醒体験」やトランスパースナル心理学などでいう「自己超越体験」に近いものがあるようだ。
しかし、この点について詳述しているいとまは今はない。注目すべきは、臨死体験者の事後変化のなかに、「超常能力が強くなる(体験者の60.8%)」、「ヒーリング(治癒)能力が得られる(41.9%)」なども含まれており、「電気・電子機器を狂わせる(24.3%)」よりもむしろ割合が高いということだ。さらに、これはプラスの変化ではないが、「アレルギー体質になった(24.3%)」という、電気異常の人々と同様の生理的な変化も生じている。(同上、ケネス・リングの研究より)
7.電気異常・ヒーリング・超能力と「気」
これらの事実からどんなことが言えるだろうか。すでに触れたように、電気異常の人々は驚くべき電気的な現象を引き起こすことはあっても、体内の電気的エネルギーを、有機体的に統一された「気」にまで高めてコントロールすることはできないと考えられた。
シャリスは、彼らのなかにヒーリング(治療)の能力を発揮するようになったものはごくわずかしかいないと指摘するが、それは上のように考えることで充分に納得できるだろう。
しかし、「電気感受性人間」でも「超能力」やサイ能力を発揮するものはかなり多い。シャリスは、電気感受性、アレルギー、超能力といった現象の間には「感受性の強化」という点で共通性があるいう。たとえばある領域の感受性が高まると他の領域の感受性も高まるというように、何かしら相互連関があって、異なったいくつかの領域の感受性が同時に鋭敏化するのではないかと考えているのだ。
筆者もその点には同意する。が、少なくとも電気感受性と超能力とヒーリング能力との関係については、単に感受性の相互連関という以上に、「気」という共通項でよりしっかりと結ばれた相互関係があるのではないかと考える。
臨死体験者の中には、ヒーリング能力を持つようになった人々もかなり存在する。そこから言えるのは、体内外の電気的・磁気的エネルギーを「癒しの力をもった気」のレベルにまで高めることができるようになった体験者も多いということだろう。
しかし逆にアレルギー体質になった体験者も多いということは、電気的・磁気的な現象への過敏な反応はあるが、「生命エネルギー」としての「気」のコントロールまでには至っていない人も一方に存在するということか。電気異常の人々にアレルギー体質の人が多く、しかもヒーリング能力のある人がほとんどいないという事実から、こうした推測も可能だと思う。
ただこの点については、ヒーリング能力を獲得した臨死体験者とアレルギー体質になった臨死体験者に重なりがあるのか否かが明確でないので、あくまでも推測の域を出ない。
しかし、どちらにせよ臨死体験者のなかに超常能力(サイ能力)を発揮する割合が全体としてきわめて高いのは確かだ。この点は電気異常の人々にも共通している。
透視やテレパシーなど何らかの「情報」にかかわるサイ能力は、「生命エネルギー」としての「気」をコントロールする必要はないにしても、「情報」としての「気」を伝達する媒体として何かしらの電気的・磁気的現象に関係をもっているのかも知れない。
電気異常の人々は、電気的・磁気的現象への極度の反応や感受性を示すがゆえに、情報作用としての何らかのサイ能力にかかわっているのだろう。しかし「癒しの力をもった生命エネルギー」としての「気」をコントロールするまでには至っていない──こんなふうに解釈できないだろうか。
結局のところ「気」は、物理的な現象としての電気的・磁気的現象に深くかかわりをもっている。だからこそ気功家も、電気異常の人々と同じように電気機器を破壊したり、光りを発したりという驚くべき電気的・磁気的現象をしばしば引き起こす。
と同時に、「気」は単なる物理的な現象に還元できない有機的な全体性をもった「生命エネルギー」としての特性ももっている。だからこそ「気」は、内気あるいは外気として病んだ体に作用し、癒しの力を発揮する。
そしてさらに「気」は、単なるエネルギー現象には還元できない情報作用=「こころ」の作用としてのサイ能力にもかかわっているようだ。だからこそ気功家も、透視やテレパシーといった超常能力(サイ能力)をしばしば発揮するのである。
「気」という現象は、こうした様々な特性を持ちながら、しかも「気」というひとつの言葉でくくらざるを得ないような何らかの一貫性・統一性を持っているようだ。次回は、こうした膨大な広がりをもった「気」の姿をやや別の角度からさらに探っていこう。
00/03/25追加
気・「もの」から「こころ」へ(2) に続く
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《参考文献》
マイケル・シャリス『脱・電脳生活』田中靖夫訳、工作舎(原題『ザ・エレクトリック・ショック・ブック』)
『気との遭遇』林幹雄訳、JICC出版局)
井村宏次『サイ・テクノロジー』工作舎
西野皓三『西野流呼吸法』講談社
西野皓三『“気”の発見』祥伝社
知抄『智超法気功』たま出版
佐々木『気のつくり方・高め方』ごま書房
張恵民『中国気功法』日本気功協会訳、徳間書店
品川嘉也『気功の科学』光文社
『「気」の大事典』新人物往来社
0コメント