2019.02.25 06:24唯識仏教における利己心と利他心 唯識仏教は、心の深層の利己心を徹底的に分析・記述し、さらにそれが利他心へと変貌していく可能性を展望した。ここでは心を見つめる唯識に特有な構造を、シュッツの日常世界論と比較しながら論ずる。 1 唯識仏教の深層心理学 仏教は元来、六つの識をあげる。まずは眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)の五感のは働き(前五識)である。つづいて第六識意識は、推理・判断などことばを用いた思考作用あり、感情・意志なども含めたいわゆる「心」の働きである。しかし唯識は、さらにその深層に働く第七識の「マナ識」と第八識の「アーラヤ識」とを発見した。マナ識は潜在的な自己我執着心であり、アーラヤ識は、さらにその深層にあって以上のすべての識を生...
2019.02.24 07:45「真の自己」の幸福論─岸田「自我論」の批判を中心に岸田秀は特異な思想家だ。思春期からの頑固な強迫神経症が縁となって精神分析の研究に入り、徹底した自己分析によって自ら神経症を癒していった。それゆえ彼の理論は、苦しい強迫神経症から解放されたいと願ってフロイトを読みつつ、ひたすら自己分析を続けた体験を一つの基礎として築かれた。彼の個々の論文は、深い洞察力に富み、読んでいて興味尽きない。しかし、その「自我論」は、狭い自我を超える「真の自己」のはたらきを否定する構造になっており、この点は批判が必要であろう。以下に岸田の「唯幻論」・「自我論」の大筋を見、その批判検討を通して、「真の自己」のはたらきに基づいた幸福論が可能かどうかを吟味しよう。 1 岸田「唯幻論」 岸田によれば、動物は一般に本能的に規定...
2019.02.24 02:36「心身一如」と教育観の変革1.近代主義的教育観とその克服 端的に言って、現代日本の教育制度の暗黙の前提となっているのは、西欧の近代主義的な人間観であろう。そこでは精神と肉体とは二つに分断され、しかも人間の精神の働きは、理性的・知性的側面のみを極端に偏重するかたちで把えられている。そうした人間観と根を同じくするところ(デカルト的な精神-物質二元論)から近代科学が生まれ、巨大な成果をあげたが、同時に多くの「ひずみ」も生まれた。そうした「ひずみ」を生みだす根となる近代主義的な人間観の問題点を克服しようとする試みは、近年、当の西欧でも様々な分野で行われるようになった。 たとえば心理学の分野で言えば、アメリカの心理学者かつ思想家であるケン・ウィルバー等を中心として理論化されたトラ...
2019.02.21 09:40ニューエイジ潮流を考える◆ニューエイジ・ムーブメントとは ニューエイジ・ムーブメントと一言で言っても、それは現代のかなり裾野の広い思想潮流を大ざっぱにくくる言葉だから、そこにはいろいろな考え方が含まれている。 もちろんニューエイジというひとつの言葉でくくる以上、そこに何かしら共通の特徴はあろうが、それも人によって、視点によって、いろいろな把握が可能なのだ。そこに無数の考え方や思想が入り交じりながら、ひとつの大きな潮流・ムーブメントを作っている。ともあれニューエイジ・ムーブメントという言葉を広義にとらえるなら、とりあえず次のようにいえるだろう。 「伝統宗教や組織にしばられない大衆化された霊的・精神的な関心の広がり。とくに19世紀西欧のスピリチュアリズムや東洋の神秘的伝統など...