旧サイト『臨死体験・気功・瞑想』を運営していたころに何度かメールでやりとりをしたことのある、ある方からメールをいただいた。それは、クリシュナムルティの覚醒体験についてのもので、旧サイトの「覚醒・至高体験事例集」に加えて、みなさんにぜひ読んでいただきたいとのことだった。その内容をここでも再録させていただく。
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一九二二年の八月十七日、彼はカリフォルニアのオーハイでその後の 人生を一変する体験に見舞われます。(すべて「クリシュナムルティ の世界」大野純一編訳コスモス・ライブラリーからの引用です。クリ シュナムルティ二十七歳の年だそうです。)
まずその周辺を知っていただくためにも、短いですがその五日前に彼 がエミリー・ルティエンスという女性に宛てた手紙から引用をしたい と思います。
「私は毎朝三十分ないし三十五分間、瞑想しています。それは六時四 十五分から七時二十分までの間です。短時間ではありますが私の精神 集中は日増しに向上しつつあり、寝る前にも十分ほど瞑想しています。 こういった事実は貴女には少々意外なのではありませんか?私はマス ターの方々との古い接触を取り戻しつつあるのです。詰まるところ、 人生で大切なのはそれだけであって、他には何もないのです……」
(「マスター」というのは、マスター・クーフートミーとマスター・ モーリヤの略称だと思われます。両者ともに神智学協会の教義体系に おいて、超人として伝説化され信仰の対象になっていたようです。これからもわかるように、後に「星の教団」を解散し神智学協会から離れ、真理がいかなる教団や宗派にも属さないことを強調した彼も、若き日にはこのような信仰をもっていたようです。)
そしてその八月十七日から数日間つづいた彼の変容を目撃したのは、 ニティーヤナンダという男性とロザリンドというアメリカ人女性、ワ リントンという人物の三人いたそうですが、そのうちのニティーヤの手紙が残っています。その非常に興味深い記述によると、クリシュナ ムルティは「異様な無意識状態」に陥り、「半覚状態」がつづき、「 ワリントン氏は、この様子を見て、クリシュナの体内で何らかの『プロセス』が進行中であると言った」そうです。ですが、それはあくま でクリシュナムルティの体験の外部的観察ですので割愛して、彼自身の記録を紹介します。
「やがて八月十七日になると、私は首筋に激しい痛みを感じ、瞑想を十五分に短縮しなければならなくなった。私の容態はどんどん悪化し、ついに十九日にそのクライマックスに達した。私は考えることも、何をすることもできずにベッドに横になった。やがて私はほとんど無意識状態になったが、まわりで起こってることはよくわかった。私は毎日正午頃には正気に返った。最初の日、自分がそんな状態で、いつもより周囲のものがはっきり意識に入ってるときに、私は最初の最も不思議な体験をした。
道を補修している人がいた。その人は私自身であった。彼の持っている(つるはし※傍点が付されてあります)も私自身であった。彼が砕いている石までもが私の一部であった。青い草の葉も私そのものであった。私のそばの木も私自身であった。私はほとんどその道路補修工のように感じたり考えたりできた。私は木々の間を通り抜ける風を感じ、草の上にとまった小さな蟻を感じることができた。鳥や、ほこり、 さらには騒音までもが私の一部であった。ちょうどそのとき、少し離 れたところを車が通っていった。
私はドライバーであり、エンジンであり、そしてタイヤであった。自動車が私から遠ざかるにつれて、私は自分自身から離れ出た。私はすべてのなかにあり、というよりはすべてが――無生物も生物も、山も虫も、生きとし生けるものすべてが――私のなかにあった。」
そうした二十日の朝、彼は瞑想中、体外離脱を経験したと書いています。
「(ワリントン氏に)勧めれるままに木の下に行き、私はそこで座禅を 組んだ。そのようにしていると、私は自分が肉体を離れ出るのを感じた。 私は若葉の下に坐っている自分を見た。私の身体は東を向いていた。私 の前には自分の肉体があり、頭上にはきらきらと輝く美しい「星」が見 えた。」
そして彼は最後にこういいます。
「私は私の渇きは癒された。二度と再び私は渇きを憶えまい、二度と再び私は無明に落ち込むことはないであろう。私は「光明」を見た。私は、いっさいの悲嘆と苦悩を癒す慈悲の大海に触れたのである。私は山頂に立って、力強い<方々>を見つめたのである。「真理」の泉が私に開示された。無明の闇は消え去った。栄光に包まれた愛が私の心を酔わせた。 私の心はけっして閉じることはないであろう。私は歓喜の泉、永遠の美 の泉の水を飲んだ。私は神に酩酊している。」
◆ジドゥ・クリシュナムルティ(1895~1986)
1895年インド、マドラス近郊に生まれる。14歳のとき〈世界教師〉の器として神智学協会の指導者に見いだされ、後に〈星の教団〉の指導者となる。やがて真理の組織的追求に否定的となり、1929年に「真理は組織化しえない」として同教団を解散。以後、人間の解放をテーマに広範な講話と著作を通して人々の覚醒を促し続けた。1986年没。
著書:『生と覚醒のコメンタリ―』(春秋社)、
『自己の変容』(めるくまーる)等。
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