【7】《日本の気功師の気および気功》と《中国の気功師の気および気功》とを全体としてみた場合、何か違いがあると思われますか。あるとすればどのような違いですか。その理由は何だと思われますか。
a全くない (1) bほとんど無い(2) cどちらとも言えず (2) d少しある (5) e大いにある (8)
~《全くない》~
・気功治療[師]の中に、霊的な力も入っている人もいます。霊能力と肉体の波動とは全く違うものです。この辺を間違えると、とんでもないアンケートになってしまうと思わ れます。(健臨会、松戸)
~《ほとんど無い》~
・質的には同じと思う。(春風館道場実践呼吸法、川口)
~《少しある》~
・私の見た感じでは、日本では心のことについても、また神などについても説いていますが、中国の方はとくに神については、言われていないみたいでした。神とは宇宙という意味ですが。(極理気功研究所、春日部)
・気の伝統文化が、違うため気功師と呼ばれるほど明確な選択ワクがなかった為で、今後は[日本でも]多数世に出る。(生涯学習・気と心の家、杉並)
・日本の[現在の]気功師のことは良く分かりませんが、この類のものは太古の昔から伝承されてきました。行法でいえば手かざし、マントラ口誦、九字行法、日本武道の発勁、 古神道では息吹、鎮魂帰神法、言霊等多数あります。中国の気功と日本のそれは質的に 酷似していても、とらえ方や手法に根本的相違があろうかと思います。あたかも仏教が 開祖、教祖、規範、おびただしい仏説、哲理がすべて網羅されているのに比べ神道には これら何ひとつなく、ただ形式と日本人特異[の]意識が連綿として伝えられてきた如く、日本の気発は何げなく行われています。又、中国のそれに一歩も引かないパワーも あります。(眞道、石岡)
・気功であるかぎり中国と日本の気功は、全体としては基本的に差はない。しかしレベルの差は歴然(中国の方がはるかにレベルが高い)。また中国から日本に来ている気功師のなかには少数の例外をのぞいて、一流の者はほとんどいない。(中国気功療術研究所、 江戸川)
~《大いにある》~
【歴史的・社会的背景の違いを指摘する意見】
・気に対する知識、修練体制が大きく違う。中国は国家が主体となって“気”について研究し、気功をバックアップしているのですから。(「太極の理」実践会、高田馬場)
・中国の方がシステマティックのような気がする。日本はすぐに霊能に走り、自己を神秘化する。気功師は技術屋であって、人生の導師ではない、自戒すべき。(心身一体療法 研究所、世田谷)
・日本気功は2650年の伝統-心から入る(心)。中国気功は4690年の伝統-形から入る(身体)。日本に気はあるが、一子相伝の気功師は数人しかいない。日本の気と中国の気功が混同されている。日本に気功が成立してから10年位。中国気功確立から 約40年。歴然たる差。(日中気功科学研究会、浜松)
・中国気功は深く、広く、重層複雑。日本気功は微妙、清洌。中国では幾々代もかけて継承蓄積されている面があり、日本では医療界はもとより武門、宗門共に殆ど途絶えたと ころからここ2~3年の間に復興した。ゆえに新鮮、勢いがある。気場を見れば、中国 は東アジアの中心、ヒマラヤ造山帯をひかえている。日本はアジア大陸(プレート)の 太平洋(プレート)へ向けた最先端。フィリピン・日本・アリューシャン・北米・南米 へと続く還太平洋火山帯(文化圏)の要の一つ。(達磨元気会、川崎)
【発する気そのものに違いがあるとする意見】
・日本の気功師の気は硬く、無機質であり、中国の気功師の気はなめらかで、液状であると思います。(通天貫地功法講習会、新宿)
・中国の気は丹田を使うからパワーが弱い。大自然のエネルギーと直結すれば気は無限大となる。ヨガも、気功も三千年の昔から丹田を重視しているが、これは大きな誤解である。オー・ミステーク (日本気功学研究所、新宿)
【その他の意見】
・中国と日本では[気の]地場が異なるので。同じ日本でも東京の人と九州の人の気は異なる。(東洋美健会、新宿)
・中国気功は、物質及び肉体の延長としてとらえる傾向が強い。(唯物論の国家だからしかたないと思うが) 日本の気功は、間あい的な意味から発展し、精神的、心理的な側面が強い。日本語の「気」は、ほとんどこの意味で使われていることが 多く、中国的意味での「気」ではない。(国際ヒーラー学院、杉並)
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