2020.10.10 12:28YouTube で日本を世界に発信するYouTube で日本を世界に発信する試みを行っている。チャンネル名は「Spiritual Japan」とした。今のところ、東京の日本庭園や寺社を中心に紹介を行う予定だが、神社と寺の違いを説明しながら日本の宗教の歴史を入門的に紹介する企画も考えている。とりあえず、清澄庭園を紹介する動画を作ってみた。日本庭園は、日本的な精神性へと迫る視覚的な具体例と言えるだろう。→「Kiyosumi Garden・清澄庭園」また、霊性に深くかかわるテーマとしては、『臨死体験研究読本』で書いた内容を数十回の動画にわけて解説していくシリーズも考えている。英語での発信が、どれだけ世界にアピールする力を持てるか、まだ始めたばかりだが、今後の可能性に胸を弾ませている。
2019.09.27 13:22合気道の開祖・植芝盛平(覚醒・至高体験) 以下は合気道の開祖・植芝盛平の体験である。植芝盛平著『合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録 』より収録した。 この体験をする以前に植芝盛平は、各流派の武道を遍歴し、とくに竹田惣角からは大東流柔術を学んで、その免許を得ている。37歳のころには、修行道場・「植芝塾」を開設するが、自らの武道を本格的に「合気の道」と称して主唱しはじめるのは、42歳の頃のこの体験で武道の新境涯を開いて以後のことである。 たしか大正14年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された...
2019.09.25 12:17ゴーピ・クリシュナ(覚醒・至高体験) ごく一部の研究家やヨーガ行者のあいだでしか知られていなかったクンダリニーの教説が、世に広く知られるようになったのは、ヨーガ行者ゴーピ・クリシュナの『クンダリニー 』という著作が1967年に英語で出版されて以来である。この著作でゴーピ・クリシュナは、自分自身のクンダリニーが覚醒していく過程をつぶさに、かつ具体的に語り、その身体的・精神的な変容の有り様を克明に記録した。 この著作は、東洋の行法に関心をもつヨーロッパやアメリカの若者たちに広く読まれ、クンダリニーの覚醒をめざしてヨーガ行法を行うものが続出したという。 彼は、もちろん気功家ではないが、気功家を含む広い意味での行者の一人として、彼の体験をここに収録したい。 ゴーピ・クリシュナは、1903年にイ...
2019.09.14 14:06気功家・北沢 勇人氏(覚醒・至高体験) 2002年3月上旬に検索エンジンで天啓気療院のサイトを見つけ、姉妹サイト『日本の気功家たち』のためのアンケートの回答をお願いしたところ、さっそく詳細に記入された回答をいただいた。その内容は『日本の気功家たち』のアンケート・天啓気療院の項に掲載したが、残念ながら今はもうこのサイトは存在しない。 ところでその回答の中には、天啓気療院・北沢 勇知氏のチャクラの覚醒、クンダリニーの上昇についての非常に具体的な記述が見られ、しかもそれは至高体験というべきものにつがなっていた。 さっそく北沢氏に連絡をとり、その部分をこちらのサイトの事例集に掲載させてほしいとお願いしたところ、ご快諾くださった。 なお、ここに掲載するのは、アンケートの回答に一部、天啓気...
2019.08.04 13:00禅僧・今北洪川(覚醒・至高体験) 以下は、明治時代の著名な禅僧・今北洪川の体験である。 愛宮真備『禅―悟りへの道 (1967年) 』 より収録。 「ある夜、座禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光りが私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。私の見、聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世...
2019.07.26 22:49禅僧・白隠の弟子(覚醒・至高体験) 秋月龍民『禅の探求―生と死と宇宙の根本を考える (1976年) (サンポウ・ブックス) 』より、ある禅僧の体験を収録する。禅宗の一派、日本臨済宗の中興の祖・白隠禅師のもとで修行した老僧の話である。 いまから200年ほど前、遠州の新橋というところに大通院という大きな寺があった。そこの和尚は、もう60の年を過ぎているのにまだ悟りを開いていなかった。この老僧はこれではならぬと発心し、駿河の松蔭寺に、白隠禅師の門をたたいて、弟子入りした。老僧に与えられたのは白隠自身が作り出した「隻手の音声(片手の声を聞 いてこい)」という有名な公案であった。老僧は熱心に公案に取り組んだ。 しかし、 5、6年たってもなかなか悟りは開けない。ついにへこ...
2019.07.20 12:37久松真一(覚醒・至高体験) 久松真一は、現代の日本を代表する禅者の一人であり、また哲学者でもある。国際的な活動でも知られている。もちろん僧籍をもっているわけではなく、あくまで居士としてではあるが、禅の根本精神を世界に広めようとFAS協会を設立した。 独自の宗教哲学を確立した、広い意味での宗教家と位置付けて、その見性体験を「宗教家の場合」のひとつに収めたいと思う。 以下は、『久松真一著作集〈第1巻〉東洋的無 (1969年) 』(理想社刊)に収録された「学究生活以降」および「学究生活の思い出」からとった。後半の文中「彼」とあるのは久松本人のことである。 「学究生活以降」は、久松真一の立場が簡潔に述べられているので、まず、これを引用する。 次に「学究生活の思い出」の中から、禅に...
2019.07.19 12:00紀野一義氏(覚醒・至高体験) 紀野一義氏を宗教家に入れてようかどうかわからない。在家で数々の一般向けの仏教書を著し、多くの人々の心をつかんで来た人である。私も、本が出るたびに買って夢中で読んで来たし、彼の主催する会に参加し、講演も何度も聴いた。最近ある方に紀野氏の本を紹介したのがきっかけで、ふと以下の文をこの事例集に入れようという気になった。 私にとって、とてもなつかしく素晴らしい人の体験をここに入れられるのを、とてもうれしく思う。 文章は、『禅―現代に生きるもの (NHKブックス 35) 』からの掲載である。 わたしは、広島に育ち、旧制の広島高校を出て東大の印度哲学科に学び、二年生のとき学徒動員で召集されて戦場に赴いた。終戦と同時に中国軍の捕虜になり、翌年の春ようやく帰国した。...
2019.07.18 04:25鈴木一生氏(覚醒・至高体験) 以下に『さとりへの道―上座仏教の瞑想体験 』(春秋社)の中に記された、著者:鈴木一生氏の体験を取り上げる。 鈴木氏は、天台宗で得度し僧籍をもつ人だが、上座仏教と出会い、激しい葛藤の中で、これまで学んだ大乗仏教、とくに法華経信仰を捨てて上座仏教に帰依していく。著書には、その過程、またヴィパッサナー瞑想で目覚めていく過程が、具体的にわかりやすく記述されていて、興味つきない。 瞑想には、止(サマタ瞑想)と観(ヴィパッサナー瞑想)があり、心をひとつのものに集中させ統一させるのがサマタ瞑想だ。たとえば呼吸や数を数えることや曼陀羅に集中したり、念仏に集中したりするのはサマタ瞑想だ。 これに体してヴィパッサナー瞑想は、今現在の自分の心に...
2019.07.16 02:20玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(3) 玉城康四郎氏については、すでにその若き日の至高体験をその(1)で、また、最晩年、「七十八歳の十二月の暮れ、求め心がぽとりと抜け落ちて以来、入定ごとに堰を切ったように、形なき「いのち」が全人格体に充濫し、大瀑流となって吹き抜けていく」という体験を、その(2)に紹介した。 しかし、氏の「仏道を学ぶ」という求道記のなかには、78歳以前の晩年にも、以下のような記述がしきりに見られる。氏にとっては、それらはまだ徹底しない体験だったのだろうが、ここにその一部を収録して少しでも多くの方に読んでいただく価値は充分にあると思う。以下も『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版)よりの収録である。七十歳 ( 昭 和 六十一年 ) 何とも表現できぬバック・グラ...
2019.07.15 03:37玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(2) 玉城康四郎氏の若き日の至高体験については、すでに取り上げた。玉城氏は、若き日の苦悩のなかで一時的に大爆発を起こし、覚醒するものの、しばらくするとまたもとのもくあみに戻ってしまう、ということを何度か繰り返した。一時は、今生で仏道を成就し覚醒を得ることに絶望することもあったが、それでもひたすらに仏道を求め座禅を続けた。 そして最晩年に、ついに下に見るような真の覚醒に至るのである。求道への、その真摯でかわることのない熱情は頭が下がる思いである。 以下も『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版)よりの収録である。◆ダンマ顕わとなる 禅宗の坐禅に替わって、ブッダの禅定を学び始めてからもう三十年になる。そのあいだにブッダに学んだ基本は、 「ダンマ・如...
2019.07.14 02:41玉城康四郎氏(覚醒・至高体験)(1) ここに仏教学者・玉城康四郎氏の若き日の至高体験を収録する。氏は学者であると同時に求道の人であり、深い宗教体験も持つ人であるが、その求道は苦難の連続であったようである。以下の至高体験は氏の『冥想と経験 』その他、いくつかの著書の中に記述が見られるが、ここでは『ダンマの顕現―仏道に学ぶ 』(大蔵出版、1995)から収録する。 氏は、こうした苦難の連続のあと、晩年に覚醒を得るが、それは項を別けて収録する。東大のインド哲学仏教学科に入学した玉城氏は、奥野源太郎氏に師事し座禅を続ける。文中先生とは奥野氏である。 私は、先生に就くだけではなく、専門の道場でも行じてみたいと思い、先生の許しを得て、円覚寺の接心にしばしば参じた。接...